徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百五十三段*<金(きん)の重さ>2009.3.29

 リサイタルのお祝いにいただいた、金箔入りのお酒の封を切った。広島のお酒「賀茂鶴」・・・この銘柄を好きだという人が何人かおられる。音楽評論家、指揮者でもある宇野功芳さんも著書で書かれていた記憶があるし、元習志野市長吉野孝さんも、エッセイの中でこの醸造元を書かれていたと記憶している。

 金箔入りの日本酒といえば、亡き父が正月に飲んでいた。年末に正月用にいただいたものだろう。(それほど裕福ではない我が家だったから、自力で金箔入りのお酒を買えたとはとても思えないので。) 金箔のほうが水より重いので、ビンの底に沈んでいる。それを父は一生懸命上に上げようと、ビンを逆さまにして振ったりして、飲む前に四苦八苦していた。ただ、それだけだとその時は思っていたのだが、正月の元旦に家族に一口でもいいから、日頃は飲めない金箔入りのお酒を一口飲ませようとしていての動作だったと思えるのは父が死んだあとだ。金箔は底に沈んでいるのだから、父が最後のほうに飲めばそれで済むことなのだ。それを、苦労して金箔を底から上げようとしていた父親の姿・・・微笑ましく思い出されるし、父の無限ともいえる愛情を思い出した。無言の愛は多くはその時にはわからない。それが悲しくもある。

 金箔は重い、と書いて、金の重さを連想した。指揮リサイタルの時にフルートの一番を吹いてくれたA.Mさんの使っていた楽器が18金の楽器だ。金の含有量が一番多いフルートだろう。私の知識の範囲では。
 その楽器が、音量や音質が豊かなこと、この上ない。むろん、その楽器の能力を引き出すだけの技術があってこそのことだ。9金の楽器を使っている団員が、A.Mさんの楽器を持ったら1.5倍くらいに重く感じたという。その楽器を吹きこなすには、まず、第一に、重い楽器を持ち続ける腕の筋力がないとだめだろう。息もそれなりに鳴らすための量を使うのだろう、と想像できる。優雅にシルバーやゴールド、あるいは木管の黒色の光を放つフルートだが、吹くには結構な体力が必要のようだ。

 金は高額だとあらためて思い出した。金の本当の底力も、だ。装飾品としてではない本物の金の実力だ。重い。やわらかい。で、それを楽器にするには金の配合の按排が難しいのだろう。そのA.Mさんのおかげで、金の含有量の多い、どこまでも突き抜けるような、フルートの表現力の深さを思い知るような感覚を味わえた。今回の指揮リサイタルの、私の中での一つのありがたいことになる。

 ありがたいという事柄は他にもいくつもある。ありすぎて書ききれないのがもどかしい。
 段を追って、思い出しては、書く、ということを少しの間、させていただくかも知れない。



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