徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百五十四段*<若者たち>2009.3.30

 リサイタル当日のステージリハーサルで、セカンドVnのトップサイドとチェロのトップサイドを後ろのプルトに下げた。中学生と高校生だ。二人ともに若いのに優秀な奏者だ。プロが本番に向かって集中力をどんどん高め、モチベーションを上げていっているのに、この二人はいま一つその意識が薄かった。緊張感が高くなるほど、細かなところで気持ちの弱さや、少しの練習不足が目立ってくる。
 それと、能力の高いホールは、音の解像度もよいというのか、良い音はさらに良く響くし、ちょっとした乱れもまたシビアに響きとして響かせてくれるのだ。さすがに本番直前のプルト変更だ。二人とも顔が紅潮した。前にプロが座った。これは、これからの若者への叱咤激励でもある。
 ただし、そう思ってくれるか、恨みに思うかは、定かではない。長年一緒に演奏してきても、心の中までは正確には推し量れない。
 その男子高校生と今日、メールのやり取りをした。私の思いは分かってくれていたようだった。その素直さが何事にも代えがたいと思った。

 私は、概して周りにいる若者に素直な者が多いためなのか、彼らを良く見る事ができる。今の若者の力は私の時代とは違ったものを持っており、私にはかなわないなと思うこともある。ただ、あまりにも得られる情報量が多いのが厳しいのかとも思える。
 その中で自分を見つめながらの自己選択は結構難しいのではと同情心もわいてくる。若者は若者時代にしかできないことがある。事情が許す限りその特権を使い、ゆっくり時間をかけて自分をみつめてみることだ。やがては社会の一員として、社会の重要な構成員としての生活を否応なくしなければならなくなる。その日のための、ばねのたわみの時期だと思えばよい。

 この二人と同年齢の者がコンサートマスターを担当したが、この者は、演奏会終了後、進路を迷いに迷っている。一番重い席を担ってくれたものが、後ろ向きに考えだし、厳しくプルト替えをされたものが、その意味を理解してくれる。いずれにしても、人間の指導は永遠に法則のできない行為ではないかとやや無力感も持っている。



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