徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百五十五段*<長い付き合い>2009.3.31

 3月27日の指揮リサイタルに来てくださった方からの手紙が届いた。その中に中国での「運命」の演奏のことが書かれていた。それで、中国を思い出した。24年前の北京、上海への演奏旅行のことを。その中の一人が早稲田大学生だったT君だ。彼は今回のステージにも乗ってくれた。プロに混じっての演奏だ。就職するときに彼にはとある東北地方の交響楽団のオーデションを受けることを勧めたが、彼自身がその道は選ばず、成長企業の筆頭の会社に入社した。それくらいの実力を持っていたのだから、今でも現役のホルン吹きと言っていいだろう。白髪混じりになり、さすがに年月を感じさせる風貌になったが、それは私も同じこと、無事に時間を重ねたのだな、と同志の感覚が湧いてきた。

 その中国に行って一緒に演奏したメンバーが、今回の演奏に3人参加している。このこともうれしいことの一つだ。客席には、その時の生徒の保護者だった人、旅行をコーディネイトしてくれた旅行会社の担当の人も来てくれた。彼はこの6月で旅行会社を定年退職になるとのこと。

 彼に言わせると、ミュージックのコンダクターと旅行のコンダクターとは、同じコンダクターといっても天と地ほどの差があるという。
 音楽のコンダクターは聴衆の拍手を一身に浴びることができるのだが、旅行のコンダクターは、食事の苦情やら、天気の苦情やら、施設の苦情やら、やたらと苦情を処理することが多く・・・、と冗談まじりに言っていた。音楽の指揮者も、厳しい聴衆の耳や、厳しい評価をする演奏者の視線にさらされているし、指揮者本人のいないところでは演奏家にぼろくそに言われている、という話をきいたことがある。(これは、原則として指揮者本人には聞こえないのだから、真偽は不祥なのだが、想像はつく)
 というわけで、指揮者も見た目ほど楽しい役割を担っているわけではないのだが。でも、確かに見た目はそんな風に見えると、うなずける。私も若いころは、指揮者ってかっこいい! と単純に思っていたから。

 長く続く人間関係はいいと思う。それは利害関係ではなく、まさしく人間関係でしか長い付き合いはできないから。仕事に限ってみても、どれだけの人と知り合ってきたか・・・かなりの数だが、その中の限られた人としか長い付き合いは維持できていない。これは、まっとうだとも思う。体はひとつ、時間は限られている、その中で良好な人間関係を維持するには、やはり限られた人たちとだけだろう。それもある意味で価値観が同じか近いもの同士での話になる。

 新しいことを始めると、人間関係の見直しができるというのも、今回の指揮リサイタルでの新しい発見だった。



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