徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百五十七段*<時代の流れ>2009.4.2

 音楽の友で、畑中良輔氏と中村紘子氏がエッセイを書いている。二人とも豊富な音楽体験をもとにしての文だから、おもしろく、また、説得力がある。
 畑中氏のものは、日本でのオペラ、オペレッタの草分けの頃の失敗や成功談だから、音楽と直接関係のない人にも面白いだろうと思う。もちろん、その頃のことを少しでも知っていたり、同じような体験をしていれば、尚のこと、生き生きと情景が思い浮かべられるというものだ。

 畑中氏は87歳か。芸術院会員になられたとのこと・・・喜ばしいことだし、今なお評論や合唱指揮者として現役を続けられておられることは素晴らしい事だし、驚異的でもある。男声合唱団の指揮をされての、「月光とピエロ」の演奏が鮮烈に印象に残っている。徹底的に日本語の発音を研究し、実際にゆるぎない姿で慶応大学の学生がそれを実音として表現する、この情景に私はただ唖然とし、感動してしまった。何十年も前の出来事を鮮明に思い出す。

 時代の変遷というべきか、当然の流れというべきか、東京発の寝台列車が「富士」「はやぶさ」を最後になくなってしまった。九州から東京まで18時間1分、時間はかかるが、それはそれで存在価値はあったのだろうと思うのだが、時間短縮は世の中の要請か、多くの人の望むところなのか、とにかく、時間短縮イコール正義のような流れができてしまっている。時間短縮を望む人はそれを選択でき、時間がかかってもそれを望む人には、そのように提供する、というシステムや考え方はできないのだろうかと思ったりもする。

 合理性や利便性を優先するのなら、時間のかかるものを廃止するのは正しいことかも。確かに時間短縮は必要だ。利便性も移動にかかる時間を考えれば短いほうがいいだろう。JR東海の新幹線を使っての旅のパンフを見ると、東京=京都の日帰りのプランが結構多い。2時間余りで京都と往復できれば、日帰りが気楽で廉価で合理的だとも思える。せっかくの京都だからもっと時間をかけて・・・と考えるのは贅沢なのかも知れない。

 ブルートレインがまるで生きているかのように、闇とライトを背中に走行する。そういえば一度だけ、当時の校長先生と夜行列車に乗ったことがあった。学校行事を優先させて次の日の行事に間に合わせるための夜行列車だった。個室寝台ではなく開放寝台列車だったが、結構懐かしくその時のことを思い出した。

 東北に帰るには、昔は新幹線がないのだから、夜行寝台だ。上野駅で見送ったこともあった、と少しばかりの苦い思い出もよみがえった。



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