徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百六十三段*<天才・手塚治虫>2009.4.9

 BS放送で手塚治虫の特集を放送していた。700もの作品を書いた手塚治虫の漫画を全部読むのは至難の業だ。良心的に愛情をもって作られたテレビの放送は、間違いなく私の視野を広くしてくれる。

 小学校5年生の時に始めた昆虫採集、オサムシと自分を重ねて治に虫を加え治虫というペンネームにしたとのこと。14歳の時の「甲虫図鑑」つまり自分で作った図鑑だが、その精緻な昆虫の描写に驚いた。まさに天才だと思った。

 中学生になってから漫画を描き始めたという。そして、太平洋戦争の経験、軍需工場で働いた経験、自伝的作品といわれる「紙の砦」が生涯を通しての作品のもとになる原体験が「戦争」体験だと思わせる作品になっている。主人公は漫画家を夢見る「おおさこ てつろう」・・・オペラ歌手を目指す「京子」に恋心を抱く。その後、大阪の空襲の時に偶然出会った「京子」は顔が無残に焼けただれていた。この恋は実らずに終わる。この作品からは戦争へ怒りと、死を描くことで生を語るという、その後の手塚作品の根幹を示すといわれる。なぜか、このときの「京子」の顔が、その後の作品の大切な女性の顔に似ている。

 作家の高橋源一郎は、手塚の作品を「偉大なる 悲劇」と語っていた。漫画を通して自分を見つめる。自分が自分で分からない・・・ここから手塚作品が始まるという。確かに、私も己のことがよくわからない。どこから来て、どこへ行くのかも・・・マンガも芸術だ。手塚作品には誰も異を唱えないだろう。

 火の鳥の最後の場面では無言で、山脈に向かって辛うじて前に進もうとするロボットの姿が描かれる。言葉は一切なしだ。生きることへの執着か、少しでも動けるのなら前へ進めというメッセージなのか。前に何があるかわからなくても、だ。

 「アドルフに告ぐ」「火の鳥」と、時代を見通した大作がある。個人の生死から、地球の再生をかけた物語にまで発想は膨らむ。そして、いま、その危機が現実となっている。宗教の争いにも触れる。どれもが正しいと信じている者同士だから、争いは終わらないのだと説く。その通りだ。

 メッセージはまだまだ続く。むかし、「アドルフに告ぐ」と「火の鳥」を夢中で読んでいた人がいた。その時は、冷たくそれを見ていた感受性の鈍い私がいた。そのことを思い出し、悔やむ気持ちがわいてきた。私はその時の一瞬の大切さをわからない鈍い人間なのだと自分を悔やんだ。



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