徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百六十八段*<負け慣れ(!?)>2009.4.20

 今日はどんよりとした曇り空だ。気温も低い。数日前の夏を思わせる春爛漫の様相からまた冬に戻りそうな感じで、こんな日はさすがに音楽が心に浮かんで来ない。無理して音楽・・・と考えると今日練習する合唱曲か、あさって練習するブラームスか、になるがそれでは心は癒されそうもなく、天候に心が影響されることの証でもありそうだ。そういえば、病院の診察待ちの待合室でも音楽は思い浮かばなかった。

 こんな日は音楽そのものよりも、それに関する企画や音楽会の構想を練るほうが良さそうだ。それでも曇天に合わせてか頭にも心にも霧がかかり、新しい発想が浮かぶ自信はないのだが。

 なんとなく、生活のなかで自分の思うようにならないことが多いなあと思った。自分をコントロール出来ないのだから、他人のコントロールなんて出来るはずもないのは自明の理ではある。
 物事が自分の思い通りにはいかないものだとはっきり自覚出来たのは小学生の時だった。家族で近くの川に、ハゼ釣りに行った時だ。親や兄たちはどんどん釣れるのに、私の竿にはほとんどハゼがかかってくれなかった。同じ場所なのに・・・それが思った以上に悔しく悲しかった。確か、涙が出ていたことを記憶している。はっきり感じた大きな敗北だ。そういえば、釣りは今でも興味がわかないのはこのせいか。

 ある時期まで順風満帆で来ていても、いつかはそれは続かなくなり、敗北するときが多くなってくる。始めは負け慣れしてないから、ショックが大きいがそれにも次第になれてくる。負けなれ?か。

 思い出してみると、小学生のときにハゼに負け、中学生の時には脊椎分離症に負け、思うように運動ができなくなった。せっかくバレーボル部に入り、走るのも速い方だったのに・・・。高校生の時には「己」にも負け、教師にも負け、と負けの記憶を辿ってみる。
 負けばかりを思い出していると、思考が段々マイナス思考になってきたので発想を変え・・・考えようによっては、高校生のときの脊椎分離症の運動制限がきっかけで音楽の道に方向転換を仕出したのだから、負け=バツ、ということでもないだろう。と無理にプラス思考をしてみた。

 「負け慣れ」も必要だ。気持ちが楽になるし・・・今なんかはほとんど「負けた・・・」が多い。

 今日はこの徒然草の文をみてわかるように、天気に負けて?こんな内容になってしまった。で、このなんとなく暗い雰囲気のままでこの段を閉じます。
 読んでくださりありがとうございます。すみません。



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