徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百七十二段*<想い出の断層−69−>2009.4.26

 私は4人兄弟だ。二人の兄と一人の妹、それに私で4人・・・どんな兄弟だったのかを振り返ってみる。兄二人は私の母とは違う母親の子どもだ。私と妹が私の知っている母親から産まれた。兄たちの母親は病死だった。これはいかんともし難い事だ。しかし、現実には産みの母親を失った兄たちは否応なく厳しい状況におかれたと思う。そのことは私の心の中にも微妙な気持ちを持つことにつながった。
 後妻に入った私の母も、言うに言われぬ苦労をしたのだと思うし、産みの母親を亡くし、後妻の母を母としなければならなく、そして、その母が私と妹の二人を産んだとなれば、兄たちの立場も難しくなる。

 私にはわからない辛苦があったのだと思う。私の記憶に一枚の写真がある。私が三輪車に乗って、兄二人がその私の後ろに二人して三輪車に辛うじて乗っているものだ。兄たちは二人ともニコニコした笑顔だった。三輪車は一台しかなく、三男の私が中心に乗っているのはおかしいのだ。私にはそれでも笑顔で写っている二人の兄の気持ちが、今になってようやくわかるようになった。その写真で一番の笑顔を見せていた次兄はもういない。

 父の息子の二人の兄は、早く独立して家を出た。おそらく父は寂しかったと思うのだが、いつでも弱音や泣き言を言わない父だった。一人の息子を持つ身になった私に、ようやくその父の思いがわかるようになった。同時に父の精神の強さも分かるようになってきた。

 校長として勤務していた学校が不審火で火災にあった。その事後処理で大変な時にも、弱い姿を家族には見せなかった。それからしばらくして胃潰瘍になり、入院し、手術をした。その時でも不機嫌になることもなく、事実を受け止めて対応していた。その誇りと負けん気は死ぬ間際まで持っていた。それがすごい。同じような状況になったら私には同じような行動はできないだろう。

 カミソリ・・・との異名を持つほどの切れ味の鋭い頭脳の持ち主の父だったのだが、家庭では好々爺というのがぴったりの穏やかで、優しい姿しか見せなかった。寝たきりになった父に一回だけ髭そりをしてあげた。たった一回だけだ。何とも親不孝な息子だ。それも剃刀はブラウンの電気カミソリだ。それ以外に剃刀は使えない私だから仕方がないのだが、直接剃刀の刃を父の肌に当てたかった。

 痰を絡ませ呼吸困難で父は死去した。それを警戒し、病院での呼吸の管理をお願いしての中だった。腑に落ちないことがあったが、不問にした。通夜の時に長兄と二人で酒を飲みながら線香の煙が絶えないように一晩を過ごした。時々父の顔を見た。何回も見ているうちに本当に死んだのだと思えた。物になっているように思えた。それで私は父の死を納得することができた。何年も前の出来事だ。でも、悲しかったと今でも思う。



 二百七十一段へ   二百七十三段へ