徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百七十三段*<伝承>2009.4.27



 あっという間に桜が葉桜になり、ふと階段の降りたところを見ると、つつじが鮮やかに咲いていた。ベランダから見える小さな森も緑に燃えている。紅葉も燃えるし、緑も燃えるのだ。指揮者で音楽評論家の宇野さんは、つつじが一番好きな花だと言っていた。橙色のレンゲつつじに格別の思いを持っているようだった。その感覚は一部だろうが、私にもわかる。高原、山で緑の草木の中に突然として現れるレンゲつつじ・・・山の中では群生しているようには思えないだけに、その色の存在が否応なく映える。

 もう少し時間がたち梅雨のころになるとアジサイが一斉に花開く。アジサイ、レンゲともにその幹になる部分はかなりたくましく、枝の堅さも相当なものだ。それは球根類の草花と全く違う。これからのわずかな時間はまさに植物の開花の時だ。黄緑色の葉が緑を濃くする。そうなると夏を迎え、やがて思いもよらぬ速さで秋になる。

 五月の連休のころは平地では新緑が目にも鮮やかだが、少し高度を上げるとまだ新緑にはならない。日本が縦に長く、高度の差がある地形だということで、花の美しさを北上するかのように味わえることは天の恵みとしか言いようがない。この日本に生まれた幸を喜ばねばなるまい。

 三段にわたって父の思い出を書いた。父の思いを子は知ることが難しく、また子の思いを父が知ることは稀なように思える。それでもおそらく親の子への思いはより強く、子の親への思いはそれよりも少し薄いような気がする。それは当然とも思えるし、思いを伝承するという観点からすれば正しい姿なのだろう。

 年齢を重ねれば、その人なりの後に続く人への伝承は考えるべきだと思う。それがないと、人類は受け継がれていけないのだろう。生を受けて気がついたときには、ある存在としての己がいる。それを思えば、果たすべき義務をもってこの世に生まれたのだと思うのが妥当だろう。私の果たすべき伝承の役割は何なのか、もう一度考えてみたい。



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