徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百八十段*<この季節に行きたいところ>2009.5.14

 今日は5月中旬にしては蒸し暑い。そよぐような5月の風も吹いてないし、まさか、このまま梅雨入りなんていうことはなないだろう、といささか不安を持つような空模様だ。
 本当に過ごしやすい、春そのものの時間はわずかなのだな、とあらためて思った。人生もそんなものかな、とも思えば、自然にしたがって人間の一生の流れができているのかも知れない。

 こんな気候の時に行きたくなるのは、やっぱり高原だ。海も気分はいいだろうが、潮風だとあたっても爽快とはいかないし、当然湿度も高い。平地の日本では気温の高さよりも湿度の高さが体にこたえる。
 
 最近、高原らしい高原に行ってないことに気づいた。時々は行かないと無性に恋しくなる。あの澄んだ空気と、静寂な空間。
 思うようにいかないのはちょうどよいシーズンに行くと必ず多くの人間に出会ってしまうことだ。だれもが同じことを考えるのだからこれも当然なのだが・・・。

 きすげをはじめとする高山植物の宝庫ともいえる八島湿原では、にっこうきすげが一斉に咲く頃になると、きすげも満開、人も満開だ。その近くに行くだけでも渋滞の中の忍耐の時間だ。もちろん遊歩道を歩きはじめると、気分は上々になるが、道路と同じに木道もラッシュだ。
 
 宇野功芳さんが、蓼科を俗化したと嘆いたのはどれくらい前だろう。その頃はまだ清里は俗化されてないように書かれていた。
 清里もその後間もなくお洒落な店が増え、駅前の辺りは高原というよりも私の周囲の駅周辺と同じか、もっと都心に近い都会の雰囲気になってしまった。人間の行動は恐ろしい。いつの間にか、自然の重みを忘れてしまうようだ。

 あまり手付かずの自然を味わうには、ガイドブックに載っていない穴場を自分が探すしかない。それでも他人にはそれは教えない。穴場でなくなるから・・・と書いてはみたが、この発想はなんともみみっちい。自己反省だ。



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