徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百八十五段*<修行>2009.5.26

 久しぶりに早朝の空気を味わう。晴れのときは勿論、曇りでも、雨でもこの時期の夜明けは気持ちがいい。物音しない夜明けだが、聴こえるのは雀の鳴き声だ。贅沢だが、この鳴き声が郭公や鶯だとなおさら・・・なのだが、まさしく贅沢な望みだろう。 

 高原に行きたい、とこの中で書いたら、早速、「同感」とのメールを友人からもらった。聞けばその人は最近モロッコに行ってきたとか。そのモロッコの自然と対比して、日本の自然を改めて見直したようだった。モロッコは行ったことがないので、想像でしかないのだが。

 久しぶりといえば、痛飲した。知らないうちに、着替えることもなく寝ていた。目が覚めたら午前4時・・・このときに、まだアルコールのにおいが残っていたら最悪だ。一瞬、深い後悔の念が頭をよぎる。すぐに考えを変える。この状態からどうやって短時間のうちに抜け出すか・・・。

 それは甘い考えで、実は時間が必要なのだ。そんなことは分かっているのだが、悪あがきというものか。何度か繰り返してきたわが身の姿と、わが精神の情けなさ・・・しみじみと思うひと時だ。

 若い時はこの回数が多く、後悔も多かった。仕事に行っても、一日、半病人のようにしていたこともあった。アルコールの分解酵素が少ないのだと、感じているのだから、そこそこにすればいいのに、雰囲気で飲み過ぎている。父は若い時は下戸だったそうだ。私が知っている父の姿は「お酒に強い・・・」だから、尋ねたことがある。「いつから、そんなに強くなったのか」と。返事は「修行した。」とのこと。

 修行・・・いい響きだ。なんでも修業だと思えば、行を成し遂げるまで、頑張るしかない。
 お酒の修行は、修行に打ち勝つか、肝臓が負けるか、厳しい修業だ。厳しいから修業か・・・この修業は、修行の途中であまり充足感がないのが難点だ。修業はあきらめ、肝臓に従うのが賢明かもしれない。教え子たちに「あまり、飲み過ぎないように・・・」と諭される機会が多くなった。うれしいような悲しいような・・・。



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