徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百八十七段*<感動>2009.6.2

 私には、「感動」の価値が定まらない。一言でいえば「自然の感動」と「人工美」の感動が混在しているのだ。
 「自然美」・・・これは誰もが疑い余地がないくらいの大きな存在だ。台風で被害を受けても、冷害にあっても、理不尽とも思える自然の試練を受けたとしても、だ。

 「人工美」もしくは人間の創った「芸術」は自然美をも超えることがあるのだから、価値観が定まらない。いえるのは、自然美に勝る人工美を得るには、完璧に人間としての限界に挑戦しないと得ることは「できない」ということだ。

 私の「感動」とは生きる力をもたらしてくれることを指す。それは、自然でも人間そのものでもあり得ることだ。

 「○○沼・・・」あまり知られていない「沼」の名前だ。だからこそ、その存在そのもので、感動することができる。平たく言えば「独り占め」の感覚でもある。
 反面「人工美」にも感動する。あるテーマパークがそれだ。人間の作り出す架空の世界を徹底して表現し尽くせば、こうなるかと、否応なしに納得してしまう。

 そう、音楽表現の世界では、志の高い指揮者とベルリンフィルの演奏がそうだ。この組み合わせの絶妙なことと言ったら、言葉では表せないくらいの精神エネルギーを与えてくれる。人智を超えているといっていいだろう。

 人間に興味が尽きないのは、そんなベルリンフィルでも、好不調の波があるということだ。多くの原因が指揮者にあるのだと思えるのも、十二分に納得だ。私の中で「生きる力」になりうる演奏ができるのはいつの日になるのか・・・。



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