徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百九十一段*<環境>2009.6.9

 昨日購入したCDの値段だ・・・何と八百円だった。定価が千円だが二割引きで八百円、買い得感があった。中学生の時の25センチ、モノラル録音のベートーヴェンの「エロイカ」がちょうど千円だった。それこそ清水の舞台から飛び降りる気もちで「買う」決断をした。その頃の貨幣価値と今とを比べたら、当時としてはかなり高額な価格なのだと思える。一か月の小遣いをレコード一枚に使い果たしたのだろう。それだけの熱い思いがあったのだ。それに比べると今はどうした!と己に問いたくもなる。
 たぶんCDにかける金額よりも携帯電話にかける費用のほうが多い。この点だけは今の若者と同じ傾向だ。あまりうれしくない気づき、となった。

 八百円の享受を受けた。四枚、購入した。これがお酒や美味しい食事のように味覚や雰囲気を満足させてくれるものだと満たされた気持になれるのだが、音楽を聴くという行為そのものが、ほとんど勉強のためという条件が付いてくる。一番好ましいのは、一日の仕事を終え、ゆったりした気分とともにワインや上質の日本酒とともに音楽を味わうことなのだろうが、それは夢のまた夢だ。

 私の悪い習性の一つに、本来気持ちをリラックスさせるべき環境の中で妙に考え込むということがある。毎日の生活の中では入浴中がそれだ。頭をからっぽにして、リラックスタイムとすればいいのに、風呂の中で思索や何かの計画を立てている。頭が空っぽになるためか、考え事をするにはぴったりの風呂の中なのだ。自然の中に入っても同様だ。木々の中に身を浸し、風の吹く音を聴き、小動物の鳴く音や小川のせせらぎを受け入れるだけで十分の環境なのに、気がつくと考え事をしている。

 思うに、良い環境への貧乏性なのかも知れない。ちまちまとしたことをいつも考えていることが習性になっている、いわば本当の贅沢を知らない人間なのだ。極めることのない物事への取り組みの連続、これが自分自身を豊かにしていない原因なのだと思える。極めるための「修行」が必要だ。この歳での「修行」はいささか厳しい試練だ。



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