徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百九十五段*<臨場>2009.6.24

 「臨場」の最終回を見た。ドラマの最終回はあまり期待しないと以前徒然草に書いたことがある。この最終回は見ごたえがあった。大団円でもなく、しかし後味は悪くなく・・・といった最高の最終回だと思った。

 そういえば「キキョウ」の花ことばは「永遠の愛」だったことも思いだした。主人公、倉石の「おれのとは ちがうなあ」のフレーズは自分も使ってみたいフレーズになった。

 「天地人」は相変わらず盛り上がらない。やや右肩上がりかな、とも思えるし、でもやっぱり物足りない、な。テレビドラマもドラマだから、演劇、芝居、戯曲という日本語の訳のとおり、見る人に感動を与える義務があるだろうに。かかわる人たちの総力を結集しての作品だろうに、ドキュメンタリーの「プロフェッショナル」に負けてしまうのは、「プロフェッショナル」とは言えないだろう。
 マグロ仲買人の「藤田」の姿のほうに心打たれるものがあった。生きるとか仕事とかの見本になる人が「プロフェッショナル」には登場するからそれも当然か。

 「意地」「こだわり」がその姿から満々と感じる。自分に足りない姿でもあり、ひたすら感心してしまう。
 自分自身に言えるのは「気づくのが 遅い」ということだ。と自分を見詰めているだけでは前進しないから、行動に移すことに入らねば・・・

 と、いろいろ考えながら、ルーテル市ヶ谷ホールのベーゼンのピアノは音にいま一つ魅力がなかったことを思い出した。ピアニストが三人いて、それぞれの音色を持っているのに、それが感じられなかったということは、ピアノ自体の問題か。ホールの音響のことは前段に書いたが、備え付けのピアノのことは書かなかった。これは書いても仕方のない事だし、何台かのうちから選んだと思えばベターな選択だったし、同じメーカーの製品とは言っても違いがあるということだ。ベネデッティ・ミケランジェリが演奏旅行には海外であっても自分のピアノと専属の調律師を伴って演奏をしていたことが納得できる。次回の演奏会では違うピアノを選択してみよう。この出会いも「邂逅」の一つだろう。

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