徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*二百九十七段*<想い出の断層−70−>2009.6.29

 「想い出の断層」がとぎれていた。劇団ひとりの連載の中で、中学生の時の柔道の試合の体験が書いてあった。思わず笑った。千葉県の大会と書いてあったこともあり、そういえば運動を子どものころはどうやっていたのかと思い出してみた。

 運動能力もそうだが、いろいろな面で自分の力がどのあたりに位置するのかを客観的に判断できるのは、小学校や中学校の中で、だろう。それまでの生活範囲の集団は学校よりも小集団であることが多く、一部のグループの中での自分のポジションはなんとなくわかるのだが、大人数の中での位置づけのほうがはるかにシビアだし、正確でもある。

 小学校低学年の時、運動会の徒競争で2位になった時に、大体の自分の力がわかった。ようするに、真ん中辺よりは上だという判断をした。そして小学校高学年になり、中学生になり、ここまでは順調にきた。だいたいは自分の評価と同じようなポジションにいられた。中学生の部活の時の捻挫の後処理を甘く見ていて、脊椎分離症になった。走力が予想より伸びなくなった。ある時、腰痛で寝床から起きられなくなった。このときから、否応なく、運動することと距離を置かざるを得なくなり、その分の時間と興味が音楽に向かっていったように思う。
 自分の思うようにならない自分を自覚したのがこのときだろうか。痛みは自分にしかわからないから、腰痛とともに精神的にも辛かった。病院で治療しても症状が良くならないのもきつかった。このときの経験が、壁にぶつかり思うように物事が進まなくなった時の、意外に簡単にそのことを受け入れられる素地を作っていたのかも知れない。

 不遇の中にいる自分を自覚する・・・これが快感になったと書きたいところだが、やっぱりそうは言いきれず、恵まれないときの胸に秘めた一言は「臥薪嘗胆」だ。
 徒競争の話を書いたが、障害物競争では学習をした。生涯の網を潜り抜けるのに一番で網の中に入ったところまでは良かったのだが、網を先頭で潜り抜けるのに悪戦苦闘している横を、あとから網に入った人が追い越していくのを見て、先頭で網に入ったことを後悔した。このことは、実は人生の歩み方を示唆しているのかも知れなかったのだが、そのことに気がつくのはかなり時間が経ってからだ。

 劇団ひとりは、柔道部員になったのだが、動機自体が希薄だったこともあり、ろくに練習をしないままに大会を迎えたそうだ。髪型は朝から時間をかけてリーゼントにまとめて。このあたりがおかしいことではある。坊主が多い柔道部員の中で、リーゼントは試合場でも目立ってしまい、注目を浴びた試合になり、しかし、結果は反則負け・・・試合前のポーズはアントニオ猪木のようなポーズをとったらしい。確かに柔道でチョップを連発しては反則負けが当然だ。できそうもないことをはっきり断れず、結果として惨めな結果にたどりつくということはさすがに今はないが、若い頃にはあったかも・・・と共感した。

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