徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百三段*<官僚たちの夏−その2−>2009.7.13

 「官僚たちの夏」での昭和30年代の「熱い」人間の生き方に共鳴した。私の経験の中で、つまり、その多くは教諭として、教頭として、行政職として、校長としての経験からの結論になるのだが、「温度」が人間には必須の条件だと思う。

 温度・・・気温、体温、水温、と生命体には温度が必ずあるように思うのだ。組織でもそれは同じで、温度・それもやや高めの温度を保つ方が組織や個人が活性化する。というのが私の持論になっている。

 誰もが完全ではない人間だと思えば、それを補うのは高い理想や、使命感、無意識に持つ使命への「温度」が必要だと思うのだ。「温度」は重い意味を持つことが多い。風邪をひいたりインフルエンザにかかったり、肺炎になったり、病気のほとんどに関係するのが体温だろう。入院すればわかる。どんな病気で入院したとしても、毎日体温を測りに看護師(看護婦をいつの間にか看護師と呼ぶようになってしまった。女性を看護婦、男性を看護師と呼べばいいのに・・・時折、意味の少ない場面で人間はこだわりを持ち、そして意味のないことに力を注ぐ・・・)が来るだろう。

 体温が高すぎると異常を察知し、その原因を探す。一般的に体温が低すぎると免疫力が落ちるといわれている。組織も同じだろう。「熱」があれば少々の行き過ぎは「可」だと私は思う。しかし、残念ながら今はその主張は少数意見なのかも知れない。これが、学校教育の現場の活力を奪った一因だと断言してもいい。管理職の多くは「平熱」を望むからだ。いや、平熱よりも低い温度を望むかもしれない。低い温度は急激には組織を破壊しないから。

 「熱」が高すぎて時に正常な細胞も壊してしまうかもしれない「熱」・・・しかし、この「熱」を持たなければ生きてはいけないのが人間の個体だと思えば、その個体の集まりである組織も同様だとは思えないのだろうか。

 日本には未来がないのか、明るい未来があるのか、それは誰にもわからないのだろう。こんな時によりどころになるのは「芸術」か「宗教」か「お金」か「哲学」、か、・・・最大公約数でたとえれば「民主主義」か。気が遠くなるほどの時間がかかりそうだ。「熱く」なればなるほど、その熱は周りにも伝わるだろうから、迷惑かも・・・。しかし・・・宴会では、低温では盛り上がらないだろう。ここに真実の姿を見ることができるかも。
 わかりにくい「徒然草」になってしまった。

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