徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百六段*<官僚たちの夏−その3−>2009.7.19

 「官僚たちの夏」パートになる今回の徒然草だ。この作品は昭和30年代の国家公務員の姿を映してやまない。城山三郎さんの作品はヒューマンだ。人間の強さ弱さを余すことなく描写している。この年代は私の少年後期、青年前期のころだ。何とアイスキャンディーが5円で登場する。アイスクリームは10円、アイスクリームは芯に平たい棒が使われ、アイスキャンディーは割りばしの棒が芯に使われていた。包装がアイスクリームは銀紙、キャンディーは「なし」か、透明のフィルムだったか。我が家では、アイスキャンディーはご法度だった。アイスクリームは許された。貧乏なのに、衛生面でのイメージからとしか思えないのだが。それでも、その考えは、親が子どものことを思う親心だと思えば納得だ。そういえば、何となく、その指示には抵抗感なく従っていた。

 官僚組織は縦社会の典型だ。ポストをめぐる出世争いは当然起きるし、事務次官はひとつしかないポストだから、同期の中でのポスト争いになる。中級公務員試験での採用は、採用時点でそのレースにも加われない。キャリアとノンキャリアの住みわけだ。

 俗にいう天下りは、その組織が生み出した苦肉の策だろう。システムが問題なのか、人が問題なのか、この判断は難しい。公務員を終わって天下りで財団法人とか公社の「長」に就任した人には二種類あり、それまでの経験や人脈を生かし大きく力を出してくれる人と、何もやらずに日がな一日を過ごす人の二種類だ。もう一つあるのが、天下った組織や運営内容に素人なのに、「長」という名のもとに口を挟み、力で抑え込もうとする人・・・大体この三つに収斂される。

 この三つのうちの一番目がもちろんあるべき姿なのだが、そのような人に出会うのはまれだ。官僚の最悪は「親方日の丸」意識が抜けない人だ。「官尊民卑」の風潮が否応なく示されるのが、真の存在を取り違えた「官僚」だ。人間の慣れは恐ろしい。採用されたときの意気込みはそれからの体験の積み重ねの中に否応なく埋没してしまう。そんな天下りの元官僚に逆らえない、プロパーの職員が気の毒に思える。

 政治が問題なのか、官僚が問題なのかとの二者択一を迫られれば、答えは「官僚」だろう。政治家は任期があるし、その期間は数年だが、官僚は一度採用されれば、よほどの刑事事件や汚職などにかかわらない限り、何十年も官僚でいられるのだから。今の公務員の何割かの人には、この「官僚たちの夏」の原作を読むか、ドラマを見てほしいものだ。奇策を導く官僚は正しいのではなく、王道を行く、つまり普通に考えて当たり前だと思えることと、当たり前に行政に生かす、そんな官僚が多数を占めることを期待したいのだ。矜持も責任感もなく、公務員の座に安住している、前例主義、権威主義の官僚はもう御免だ。

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