徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百八段*<夏の風物詩>2009.7.24

 今年の夏は梅雨が明けたというのに、不安定な天気が続く。集中豪雨の土石流で二桁を超える犠牲者が出た。土石流の可能性の高い土地に建てられた老人介護施設の被害が痛々しい。人間に限らず、生きものの晩年はすべからく悲しいものなのだろうか。子どもの施設は自然の多い所に、老人の施設は人の多い所に、とはならないのだろうか。赤坂や六本木、原宿に特別養護老人施設があったら、何だか胸がわくわくするだろうに、と個人的感情をこめて書いてみた。

 しかし、こんな発想は誰かがしても、資本の原理から言えばありえないたとえになるのだろう。非経済的だからだれもやろうとはしないだろうな。やるとしたら、政府か・・・それも現実味には乏しい。老いることを「老醜」というのか、「老美」というのか、こんな単語さえもないかも知れない。

 野球の甲子園とも並び称される「吹奏楽コンクール」のシーズンが全国各地でスタートした。コンクールの功罪はここでは書かないが、練習に励む子供たちの姿は、理屈なしに胸を打つ。指導者の先生(ここでは教諭をさす)と気持ちが通じあい、一緒に目標に向かって練習をしている姿は、何にもまして気持ちがいい。部員の子供たちと指導の教師とが同じくらいか、教師が子どもたちよりも努力をしている姿を感じるときは、人間関係の「誠」を見るような気がして、コンクールの結果よりもそのこと自体で立派なものだと思う。
 それに概してそのような姿を感じられる学校は、結果も良いことが多い。

 夏の「風物詩」というところから、単語を思い浮べた。私の心に響く「単語」だ。まずは「父」「母」が出てくる。詩でもセリフでもこの単語を見たり聞いたりするだけで、胸が熱くなる。不思議だ。次は「兄」とか「妹」か。「愛」「恋」は全くの絵空事に感じてしまう。
 特に異性間の「愛」や「恋」なんて本当にあるのかよ、といつも思っていることだ。あ、「恋」は男女間の出来事か・・・

 最近の私の指導者としてのスタイルはこうだ。去年までは、その団体の指導者・・・つまり、顧問の教諭の先生に助言しながら音楽作りをするという形だったのだが、今年は意識して変えてみた。つまり、指揮者の私が指揮者として音楽作りをするというスタイルだ。バンドディレクターはたくさんいるのだから、私の出番は必要ないだろう。指揮者としての音楽作りを、「指揮」という形で90分から120分を使ってやる形としてみた。

 指揮者が変わると演奏も変わる・・・これは実に真実なのだ。この現象を感じてその学校の指導者がどう変わっていくのか、これは楽しみでもあり、また、理論で説明のつかないことだけに、未知の世界でもある。

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