徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百九段*<自然の厳しさ>2009.7.26

 仕事の帰りの新幹線の中から、夕暮れの富士山を見た。美しい稜線を見ていると日本一の高さの山とは実感できず、夕日と雲とを従えてゆったりとほほ笑んでいるかのようにさえ思えた。

 反面、自然に厳しさをいやというほど見せつけられたのが、大雪山系での登山者の死亡事故だ。
 中高年者には登山が一つのブームといわれ、学校に勤務していた時も、小学生、中学生が登山できる穏やかな山だからか、確かに中年の方のグループに出会うことは多かった。うわー、元気だなあと半ば羨望のまなこでその方々を見ていた。

 「ツアー登山」という言葉をこの事故のニュースで初めて知った。全国から希望者を集め、ガイドをつけて登山の計画を旅行会社が企画し、実施するツアーを指すようだ。

 事故は、複合的な要因が重なりあって、結果、事故になるという形が多いから、一つの事例で原因を断定はできないが、15人のツアーメンバーのうち、七名が死亡、ガイド一名が死亡という事実は厳然としてある。さらに単独登山者一名、別のツアーの客が一名、あわせて十名もの人が死亡、自然の厳しさを印象付けたのと同時に、人間の犯してしまう愚かさもあり得ることだと痛感した。登山のガイドがつけば、一般の人は安心してツアーに申し込みをするだろう。ガイドだから百戦錬磨の登山のプロだと思うだろうし、しかし、その条件を超えての自然の力があることを認めることしかできない。人に視点をあてれば、三人のガイドがトランシーバーを持ってなかったということも不幸だろうし、遭難の救助要請が遅れたことも被害を拡大したようだ。

 モンテカルロ歌劇場のフルート奏者加藤恕彦氏は妻とモンブラン山中に行方不明になったままだし、ウィーンフィルのコンサートマスターも登山中に遭難して死亡、指揮者のケルテス氏はテルアビブの海岸で水死・・・「たてしな日記」に登場していた青年も新婚まもなく東北の山中に散った、と書かれていたことを思い出した。自然に近づこうとすればするほど、自然は人間を拒否するのだろうか。吉野 弘さんの詩の一節・・・「山は 遠くから 人の心を とりこにする 人が その心を さがしに行く それで からだごと とりこになる」が浮かんできた。

 自然にでも、人にでも、とりこになってしまえば、どうすることもできない。いつの間にか心も身体もとりこになる・・・そんなこともあるかも知れないと思った。

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