徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百十段*<世界一流>2009.7.29

 ローマでの「世界水泳」の様子を目にした。夜中なので時間的に厳しいのだが。テレビの画面からでも世界の一流スイマーの力を目の当たりにした気がする。日本国民としては心情的に日本人の活躍を期待し、応援もする気持ちで画面を見ているのだが、世界新記録の続出で、国を忘れて見入っている。729日現在で17個の世界新だとか・・・

 スポーツの世界では、どこまで記録が伸びるのかわからないくらいに人間の力の潜在能力を思い知ることができる。同時に肉体としての人間の力の限界を年齢で感じてもしまう。人間の一生の中で肉体が大きく力を出せるのはほんの少しの年数だ。最高の力を維持できるのは数年間だろうか。アスリートはその短い時間におそらく想像を超えた鍛錬を重ねているに違いない。

 マラソンの高橋尚子選手はもう引退してしまったが、年齢でいえば人生の折り返し点にも達してはないだろう。全盛期の走りをも一度と誓いながらの引退前の時間だったと思う。それは叶うことなく、やむなくの引退。世界で金メダルを取った経験を持って後進の育成にあたるのが、一流選手のある面での義務だろうとも思うし、引退した後にタレントのようにマスメディアに登場するのも選択肢として結構大きな一つの流れになっている。

 スポーツの世界も厳しいだろう。芸能界もまた違う意味で厳しい世界なのだろう。どの世界でもその中で生き抜くには高い壁があるのだと思う。残念ながらアスリートの時にマスコミにもてはやされた人が、芸能界に入って、ほどなく姿を消す人もまた多いように見える。

 少し考えてみた。どんな時間の時に自分が満たされるのか。このことを考えると結論を出すのは難しくなる。特に職業と自分とのかかわりは一概に断定ができない。そこには、お金を得て、生活を維持するという、必ずしも自分の充足感とは違う側面があるからだ。時間の中で生きている人間としては、結局はそのかかわる時間を充実させるしか、己の満足は得られないのではないか。
 世界一になったことない私としては、とてもそのための努力や、また、金メダルを取った時の思いも想像の外だ。人は自分の経験の中でしか物事の理解を果たせないとしたら、平凡な人間は平凡に生きるのがその生きる道だと自分自身に言い聞かせている。

 三百九段へ   三百十一段へ