徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百十二段<歌舞伎>2009.8.1

 倉敷の大原美術館に行ってみたくなった。梅原隆三郎の作品が見たい。ルノアールと親しく、おそらくは師のように思っていたといわれる梅原隆三郎は、90歳を過ぎたころにルノアールの「ハリスの審判」という作品を目にすることになる。画商から一週間だけその「ハリスの審判」を借りたそうだ。梅原隆三郎はその後何ヶ月後かに逝去する。そして、発見されたもの・・・「ハリスの審判」の模写。梅原のルノアールへの傾倒が分かる出来事だ。線の太いあふれる生命感や躍動感が梅原隆三郎の作品にあふれている。

 たまたま、歌舞伎の市川家の三代にわたる「連獅子」のテレビ放送を見た。4歳の息子「市川金太郎」の襲名披露を兼ねての、祖父、父、子の三人が演ずる「連獅子」、4歳の年齢とは思えない「金太郎」の芸、それはそれで微笑ましくもあるが、父、祖父の演じる力はものすごいとしか言いようがない。歌舞伎にはあいまいさがない。これがすごい事だ。そして決め所で間違いなく決める技・・・説得力の源とも私には思えた。微動だにしない静止の姿とか、口上にしても、言い回し、抑楊、強弱、高低がゆるぎないものとして表現される。

 音楽でもゆるぎない解釈、確固たる表現を、おそらく聴く人は無意識に求めているのだと思う。少なくとも私はそう思う。実際にはオーケストラでいえばプロでも演奏に失敗したりすることも多く、ゆるぎない演奏というものにはめったにお目にかかれない。歌舞伎という伝統を何よりも重んずるだからこその、「型」だとも思うが、それにしても、引き継がれるエネルギーの大きさと持続力には改めて感服する。歌舞伎は現代のミュージカルだともいえる。舞台上は色鮮やかだし、踊りもあり、歌もあり、セリフもあり、早変りもあり・・・何でもありそうだ。その芸の練達度が高いのも大きな特徴だ。

 確かな技術、確立された「型」などを思えば、今の人気も理解できるし、オペラやミュージカルが同じレベルで表現されるかといえばそれは難しいだろう。やっぱり西洋音楽では後進国?と認めざるを得ないのだろうか。

 金毘羅歌舞伎・・・四国の「金丸座」のセリは六人の人力だ。客席からも役者が登場できる仕掛けとか、役者と観客が一体になるような筋書き、これも歌舞伎の勝ちかも。700人程度の客席で、舞台と距離が近く、役者があれだけ身近に感じられれば、親しみも増すというものだ。
 クラシック音楽の演奏会は、徹底してお客さんに満足してもらうという発想が乏しいかも知れない。要改善の視点だと思った。

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