徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百十三段*<コンクール>2009.8.5

 8月も中旬にさしかかろうかという今日だが、さすがに冷夏の中とはいえ、猛暑といえそうな蒸し暑い日が多くなってきた。毎年感じることで、私の住んでいる千葉県は例外なく「暑い」

 恒例の吹奏楽のコンクール、合唱のNコンがそろそろ県代表が決まるころだ。そして、高校野球が始まる。ローマでの世界水泳大会の途中に「古橋広之進」氏逝去のニュースが流れた。「フジヤマのトビウオ」とも称された人だ。ローマでの世界選手権大会日本チームを率いてのローマでの死去。本望といえばそうとも思えるし、異国での逝去と思えばさびしさも増すというものだ。

 コンクールといえば、おもに全国学校合奏コンクールとTBSこども音楽コンクールの二つに出ていた。合奏の部、重奏の部とあわせて、9回全国最優秀となった。夏休みは、6時間(8時間かな)練習、これだけやれば・・・という気もするが、全国優勝はいつも薄氷を踏む思いだった。優勝と準優勝との差は紙一重だと思う。

 何年か経ったときに、コンクールの優勝を目指しての営みはもういいかな、という考えになった。音楽で全国優勝だけを目標とすることに違和感を持った。教師としてこれを一生追い求めることは自分がすることではないだろうという気もした。
 教師生活のすべてをかけて、コンクール優勝(全国大会金賞)に定年までかけられる人が今でも数多くおられるが素直に尊敬している。

 競うのが好きな人がいてもいいだろうし、極端に嫌う人もいるだろうし、価値観は様々だ。ただし、何もやらないでコンクールを批判だけするのは片手おちだろう。プラスマイナスはどんな時でもついてくる。やるだけのことをやって、前進か進路変更かを決める。これは、負け惜しみにもならないし、その修羅場を潜り抜けての経験での決断だから説得力も大きい。

 生徒を操っての指導、押さえつけたりする指導ではなく、演奏者の心を変える指導者を目指したいとは思ったが、実現は難しい。「心」を育てる。これは本当に難しく、たとえばコンクールの時の成績発表の場だ。私は発表をもう少し冷静に聞けないのかと思う。良い成績だったら歓喜の叫びをあげ、だめだったらしんと静まり返る。喜びの涙と悲しみの涙が交錯する。勝ち負けの発表なのだから、勝者と敗者が同じ会場で隣同士に座っているかもしれないのだ。あんなに悲しんでいる人の前で歓喜の声を張り上げるのは、私は間違っていると思うし、音楽を通しての人間教育がなされていないと断言する。喜びは、後で仲間たちだけになった時に思いっきり出せばいいのだ。ほんの少しの時間の我慢をできない生徒、そのことを指導できない教師・・・これでは学校教育の部活動はゆがんでしまうだろう。こんなに単純なことをなぜ多くの人は指摘しないのだろうか。

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