徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百十九段*<大物>2009.8.15

 病院の待合室でテレビの画面を見たら、甲子園の高校野球が映されていた。
 智弁和歌山高校が試合をしている。五年連続の甲子園出場回数もすごいことだし、高嶋監督の指導力の高さにも頭が下がる。63歳の今も何キロかの山道を歩くということだ。甲子園出場報告会のあいさつの中で、涙をこらえながらの挨拶の姿が画面に映された。

 強さと優しさと自分に厳しい熱情の人だろうと想像できた。
 昔の高校野球の名物監督を思い出した。巨人・原監督の父君である東海大学相模高校の原貢監督、銚子商業の斎藤一之監督、沖縄の「さい」監督(字が思い出せない)、早稲田実業の和田監督、池田高校の蔦監督、習志野高校の石井監督、取手二高と常総学院の木内監督、など何人も名前を思い出せる。名前は思い出せなくても顔が浮かぶ人も何人もいる。

 名物監督というか、風格のあるベンチでの姿やインタビューへの答え方など、とにかく存在感が大きかった。

 多くの組織で、リーダーの小粒化は時代の産物なのか。
 財界でも、土光さんなどはいるだけで絵になっていた。佐藤栄作首相は、退任の記者会見場で冒頭から新聞記者は出ていけ!と言って記者とバトルをくりひろげ、リアルタイムにその時の記者会見の場面をテレビで見ていた。尚美学園のすぐ近くにある文京区役所の食堂、音楽仲間とカツ丼を食べた後だった。(これはかなりの記憶力だ。何十年も前のことだから)

 田中角栄は「人間ブルドーザー」と呼ばれ・・・学歴は小学校卒業しかなくても漢字の読み間違いなんてなかったような気がするし。

 「官僚達の夏」の池内総理とは、当時の池田勇人総理だろうと想像される。「貧乏人は麦を食え」と暴言を吐いた人だと記憶している。

 善し悪しはあるにしても、個性的な人達だと思う。
 政治の師匠にあたる田中角栄を裏切った形で、袂を分かった人が首相になったころからか、なんとなく小粒になってきたと感じたのは。
 学校教育でも校長、教育長で大物と思わせる人がどんどんいなくなり、まるで小役人の成れの果てのような管理職が増えた。

 教師も同じ傾向だ。批判をおそれてか、最初から意欲や適性ががないのか、学級も掌握できず、学校にいくつかあることが当たり前のように感じる学級崩壊、力のある教師はますます繁忙になり、力のない教師ほど楽が出来る、なんて不思議な現象がまかり通る。これで給料は同じだ。

 最近、笑えるのが業績評価システムの導入だ。普通にやっている教師の業績を評価して何になるのだろう。不適格教師を学校現場から離すほうがやるべきことだろうに。

 学校が荒れるときと似ている。生徒指導で、要するに”普通”の範疇に入る生徒の指導を厳しくする。そして本当に荒れている生徒の指導は厳しく出来ない。これでは普通の多くの生徒が教師不審になるのも当然だろう。

 大人の世界も似ている。弱い者が真っ先にいじめの対象になるのと同じようなものだ。失業率が高ければ、現実社会に希望が持てないだろう。心が荒れれば行動も荒れる。政治家、官僚が社会を育て、哲学者や芸術家が精神を育て、教育者がこどもの心と知力を育てる役目を負うのだと考えれば、それぞれの人達の果たすべき役割は今ほど重い時代はないのではないか。

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