徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百二十段*<人事>2009.8.17

 世界水泳大会が終わったら、すぐに世界陸上大会、日本では高校野球、甲子園・・・夏はライブが目白押しだ。
 100メートル決勝がすごかった。ボルトが世界新で一位、958、二位のゲイが971か。三位がパウエル、決勝に出た選手8人のうち5人が9秒代の記録に素人の私も画面を見ていて唖然とした。人間が二本足で走ってこの速さだ。人間なのに人間業とは思えない。世界一を競う場面は、どんな競技でも否応なく心をひきつける。

 「管僚たちの夏」・・・ミスター通産省、企業局長「風越」が、次官を目前に人事で逆境に立たされる。人事で恵まれたり、逆に不当だと思ったりしたことが何回かはあった。その時の当人の気持ちは他人にはわからない。辛いだろう、苦しいだろうと共感する。

 組織の中にいると「人事」がすべてだと思いたくもなる。昇任人事で試験がない場合はなおさらだ。どこでだれがどう決めるかが、いま一つ判然としないままに人事の辞令が出される。組織の一員としての宿命だと頭では分かっていても、感情が容認できないことがある。組織に人事異動はつきものだし、組織に昇任人事もつきものだ。いかに、公平に人事が行われるか・・・多くの人が納得できるものが大体は正当なのだろう。

 能力よりも相性とか、風評とかで人事を決める上司に出会ったら、それだけで悲劇の始まりだ。自分がいつも正当に、あるいはより大きく評価されたいという欲望がある限り、人事をめぐる暗闘はなくならないのだと思う。

 シビアな中に一筋の救いがうかがえるような人事、これが理想だ。上司とバトルを繰り広げた後の不利益人事なら本人も納得だろう。最低なのは、やはり「風評」人事だ。悪意をもった風評には太刀打ちできる手段がほとんど見つからない。あるとしたら、風向きはいつか変わると信じて「臥薪嘗胆」の気持ちを持ち続けることくらいか。

 生活の糧を得るためには働き続けなければならない。厳しい現実がある。世渡り上手になるか、自ら苦境を覚悟するのか、家族を養う必要がある場合はほとんど選択の余地はない。しかし、その中でも大事なのは「健康」だ。これに致命傷を与える組織だと感じたら、躊躇せずにそこから離れることだ。過剰なストレスで体にダメージをあたえ、精神の均衡を保てなかったら、我慢の意義もほとんどないだろう。平均寿命で日本が世界のトップだとしても、限られた学校教育の教員の世界では、校長経験者は退職してから5年以内に死亡する確率が高いという伝説があるのも事実であり、そう思える場面に遭遇すとすれば、それは何なのだ、と思いたくもなる。

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