徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百二十一段*<時間との勝負>2009.8.18

 世界陸上が四日目。男・女の100メートルの決勝が終わり、世界「最速」の人が決まった。走ることでの「最強」の人といえるのは何かと考えてみると、300メートル障害がそうかも・・・と思った。28回ハードルを越え、7回の水濠を越えねばならない。カメラがその水壕のそばで、地面と同じ低さで、下から選手をとらえる。水の中に足がつかるのだから水しぶきがカメラのレンズにかかる。レースの苛酷さが伝わる。
 100メートルもコースのわきにレールが引かれそこにカメラが載っていて、選手と同じスピードで動くのだから、真横からの画像が見える。
 ズームは人間の目にはできないし、それに選手と同じスピードで走れるはずもなく、競技場で観戦するよりも、複数の位置で選手を見ることが出来るという利点があることに気づく。それでも、臨場感、ライブ感は、その場に実際にいないと味わえないのと、応援を大声でやれば、選手との一体感も生まれるのだから、やっぱり、録画やレンズを通してでは伝えられないことも多いのはまぎれもない事実だ。

 100メートルの一秒の記録短縮に一世紀を費やしたとのこと。一年に0.01秒の記録短縮のペースということになる。人類の努力のたまものか。人間とはたゆまぬ努力をする素晴らしい能力と、しかし、人を殺し、他人を傷つけ、殺人のための兵器開発にもたゆまぬ努力をするという、何と多面的な生き物だろう。

 「天声人語」に沢口信治という詩人の「走る人」が引用されていた。〈 ふくらはぎ 優しいなまえ 円柱のようにふくらみ静かだ その下のくるぶし 硬い果実のように丸い対偶  夢が仕掛けてあるのだ・・・ 〉アスリートの足を見ていると、まさにこの詩のとおりだと納得をし、ひたすら感心してしまう。

 時間とのかかわり、音楽も同じだ。時間との勝負・・・瞬間美しく、終われば哀しい。

 「約束」ひょんなことからこの言葉が浮かんだ。総選挙の公示の日だ。ある党の比例区での公認順序のなかでの出来事だ。四年前に単独比例区で一位の順番をつけてもらい当選した人が、その時の党の総裁に二回の総選挙で優遇するとの約束をもらっていたようだ。ところが今回、その約束は守られずにはるかに下位の順番を示された。その当時の総裁は「人生 いろいろ 総理も いろいろ 仕方がない」といったようだが、口約束とはそんなものか、それでも政治の世界では約束を反故にするということは暗黙の了解事項になっているのか。
 別に政界でなくとも、日常的に「約束」を履行しないことはよくあること、ともいえそうだ。「約束」を履行することに全力を注がない人を相手にしていると負の連鎖で自分にとって良いことは何もない。人と接するときの必須の注意事項だ。この人は「約束」を守る人なのか?

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