徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百二十五段*<私の残したいもの>2009.9.4

 私の残したいものを文章にまとめるのは難しい。いつのころからか音楽に興味を持ち、音楽をやりたいと思い、この音楽は歌でも楽器でも媒体は何でもよく・・・そんなことを漠然と思うようになったのは、中学生から高校生にかけてか・・・。高校の留年、私立大学の中退、専門学校への入学、音楽教師への道、その間の何年も働いたレストランのウエイター、振り返れば一般的な評価での学歴は本当に高いとは言えない。教員免許も最初は中学校の音楽教諭2級だ。

 音楽への目覚めが遅かったせいもあり、楽器・・つまりピアノやヴァイオリンなど、は最初から挑む気持ちはなく、かろうじてやれそうな「指揮」にチャレンジしようと思った。これも実は無謀なチャレンジなのだが。

 高校生のときには、音楽部を作り、合唱、器楽合奏のまねごとなど、そこで指揮をすることを経験した。中学生や高校生の時に音楽や美術などに目覚める人は少なからずいる。そしてその道のプロになる人もいるのだが、小心者の私が選んだのは、音楽大学への道ではなく、一般大学の文学部、教育学科への道だった。大学ではグリークラブにいったんは入会したが、レベルの高さについていけず、挫折、といおうか、ちょうど幸いにも学園紛争の全盛期で大学構内に入れない期間が長くあり、自然に大学から足が遠のいたのも事実だ。これも幸いかそうでないか、今でも自己評価ができない。

 中退などせずに、大学を卒業しておけばいいのに、親にも相談せず勝手に中退の手続きをとり、ウエイターをしながら時間を稼ぎ、選んだのがやっぱり「音楽」だった。我ながら中途半端というか、ブレが大きいというか、なんとも自慢のできるその時その時の選択ではなかったように思う。一人で決めて一人で行動する、これが私の悪い癖ともいえる。

 音楽教師としての道を選んだ私だ。ところが、それこそ、デモシカ先生といわれても反論できないような、教師失格だとさえ思えるような、意識の低い教師だった。中学校時代に私の音楽の授業を受けた当時の生徒には謝らなければならない。使命感を持って教師をしていなかったことについてだ。

 これらの経験を経ながら、私の残したいものへの軌跡をたどるのだが、この続きは次の段に続く。

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