徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百二十六段*<私の残したいもの−2−>2009.9.6

 前段の続きだ。
 私の残したいもの・・・斎藤秀雄の「指揮法教程」を次の世代に伝えたい。私自身がこの指揮法を学ぶことによって、どれほどの恩恵を受けたか。これは、学んだものでなければ分からないだろう。

 私が薫陶を受けた人は、斎藤秀雄の直弟子の高階正光先生だ。この先生との出会いがなかったら、今の私はないと断言できるくらいの存在の大きさだ。斎藤秀雄メソードの「もどき」ではなく、正真正銘の「斎藤秀雄メソード」での指揮法を教えてくださった。

 教えを受けていた人も数多く、私などはその最後尾に位置するできの悪い生徒だったのだが、そのメソードの価値は誰よりも知っているという自負がある。それがあればこその現在の「指揮法講座」だ。

 二つ目は、若い演奏家の輩出に力を貸したい。私の指揮をするオケでのソリストとしての活動をバックアップしたいのだ。そこでの活動は、若い音楽家にとっての最初の一歩を示すだけで良いのだ。それを契機に、さらにその人がレベルアップをしてゆく。そんな、きっかけを作れる機会を持ちたい。

 あと数年はこのことに力を注ぎたい。オーケストラと合唱の両方でやっていきたいと思う。それを可能にしてくれるのは、共鳴して賛同して一緒に活動をしてくれる「仲間」たちだ。
 年齢の違いや、現在の環境の違いは抜きにして正真正銘の「人間」同志としてある時間を歩んで行きたい。それぞれの持つ時間には限りがあり、いずれ、誰にも終わりの時は来るのだが、それを十分承知の上での、人としての自分の生きてきた足跡は仲間とともに残したい。

 「官僚たちの夏」の第二部が始まった。東京オリンピック・・・高校生の時だ。そうか、その時の首相は池田勇人氏だったのか。そして病に倒れ、次を指名したのは佐藤栄作氏だったのだということに気がついた。無私の精神で国と国民を思う政治家と官僚・・・はるかかなたの出来事のように思える。
 ミスター通産省「風越」の生きざまに己を重ねてみる。誰に己を重ねられるのか、「風越」の部下の「庭野」か「あゆかわ」か。
 戦後の国産の初めての旅客機「YS11」が開発されたのも、このころだったのかと思いを新たにした。戦後19年でオリンピック開催や新幹線や、飛行機の製造、コンピューターの開発・・・どれを見ても奇跡的としか言えない日本人の力の結晶だ。やれるかどうかを考える前に、やるという意思を固めてやってみる・・・これがなければ何も動かないことをこの物語は語っている。

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