徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百三十段*<フォーレの「レクイエム」>2009.9.13

 フォーレのレクイエムの「リベラ・メ」が流れた。「官僚たちの夏」の炭鉱事故で構内に取り残された人がいるのを分かっていて、最後の決断として「注水」をする場面だった。本当にあった炭鉱事故だけに、見ていて、そして音楽を聴いていて涙があふれた。「リベラ・メ」・・・「私を許してください」「われを許したまえ」と神に祈る曲だ。

 バリトンのソロ、合唱、オーケストラが微妙に絡みあい、言うに言えない響きの世界をつくる。響きの世界ではないか・・・、祈りの世界だ。作曲家ガブリエル・フォーレ、渾身の一曲だ。実父が死去した時に実父を偲んで作った曲といわれる。

 今度、指揮をするのはこの曲だ。もう一曲はモーツァルトの白鳥の歌「レクイエム」・・・モーツァルトが筆を置いた6曲目の「ラクリモサ」涙の日・・・3分半、フォーレの「リベラ・メ」われを許したまえ・・・5分半、どちらも痛切の極みといえる祈りの曲だ。

 「官僚たちの夏」はいよいよ佳境に入った感がする。画面では、大阪万国博覧会の直前の様子が描かれている。1970年大阪万博開催、私は東京・新丸の内ビルディングの地下1階のレストランでウェイターをしていた。自分の生き方も見極められず、迷走の一時期だ。それでも将来にそんなには不安を覚えず、一日一日が過ぎていくことで満足をしていた。その時はその時の状況で新しい発見をして生きていける。それが若さの証明かも知れない。やがて社会人になり、組織の一員になり、仕事が変わり・・・と繰り返していくうちに、環境への順応性がだんだん落ちてくる。

 生きることに順応できれば生きることが楽しく感じられ、順応できないときは生きるのが苦しい。これが人間だろうと思えるようになってきた。悠々自適には程遠く、生きることに苦心しているのが実情だ。支えは音楽か、人間か。あるいは両方か。
 人間を支えにするのは厳しいものがある。支えがいなくなることもあるのだし。自分を裏切ることもあり得るし、また逆に自分が誰かを裏切っているかも知れないし・・・それでも数は少なくても信じられる人間がいてほしいと願う自分の心に偽りはない。

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