徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百三十二段*<聖域なき構造改革>2009.9.15

 歌麿 だまし絵・・・映像が際立っていた。色の美しさが・・・幕政の改革を推進する松平定信への絵師「歌麿」の身を持っての抵抗が描かれていた。
 「改革」か。聖域なき構造改革を唱えていた人がいた。学校現場にもその「聖域なき・・・」が波及し毎年マイナスシーリング10%などと強制的に行政機関から押し付けられ始めた。その頃、病院では窓口での負担割合が2割から3割に増えていた。私が、何か変だぞ、と思い始めたのは、この病院窓口での負担金が多くなった時だ。

 「聖域なき構造改革」・・・言葉が躍っていた。それがどんな意味をもたらすのかも分からずに。行政が支出してくれていた「芸術鑑賞教室」の予算カットが始まった。修繕費や消耗品をけずるのが難しければ、「ゆとり教室」といわれる芸術鑑賞などは一番の削減のターゲットとなったのだろう。

 私は中学生の時のオーケストラの鑑賞や演劇の鑑賞が忘れられない。その時には学校での鑑賞しか貧乏人には芸術に触れられなかったのだ。

 私は今の日本で、生活に余裕を持って暮らしている人はどれくらいの割合なのかと思う。高速道路が無料になり、そのことで高速道路を利用する人が増えたとして、それでどれくらいの問題が生じるのだろうか。
 日本の高速道路の料金の高さは世界一だとずっと言われ続けてきたことだ。延々と高速道路をつくるから永久に料金無料にはならないようになっていた。これはおかしいだろう。高速道路イコール環境汚染の元凶というなら、これ以降高速道路はつくらなければいいのだ。

 少し前までは「聖域なき構造改革」、今は「エコ」か。地球環境を考えたらCО2削減だけでは済まされないだろうに。人は言葉に踊りやすい。戦中は跋扈していたではないか、「鬼畜米英」とか「ほしがりません、勝つまでは・・・」とか。
 「聖域なき構造改革」なんて通用するのか。先進国27カ国の中で国民総生産量当たりの教育費の支出が26番目なんて、先進国というなら恥さらしの数字だろう。

 大げさではなくこの国は一体どこに行くのか。「若者に夢を」「老後の安心」「責任力」などという言葉がよく使えたものだ。社会が疲弊し、夢が持てなくなり、頽廃の道をたどれば待っているのはテロ国家だ。稲作民族の日本人はテロには走らないだろうが、その兆候はあるだろう。
 無造作に使う「消えた年金」この言葉は何だ。「年金が消える」なんてあるはずがないだろう。言葉は使っているうちに真の意味をなくし、いつの間にかおかしくも思わなくなる。おそろしいことだ。情報過多だ。人として変だと思ったらそれは変なのだ。本当は。

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