徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百三十五段*<生きている証>2009.9.20

 フォーレのレクイエムの「リベラ・メ」が流れた。シューベルトの未完成交響曲の一楽章の一部分も、だ。また「官僚たちの夏」だった。映像と音楽の相乗効果は理屈抜きに心を動かす。クラシックカーというと現役を引退した車を大切にメンテナンスし、時には運転してみて、調子を見ながら運転を楽しむという、慎重な対応が必要だが、音楽は「もの」ではないだけに、機械を動かすような物理的な要素は少ない。

 これが救いだ。クラシック音楽はマーケットから言うとそんなには大きくない。その時代のマーケットという観点を考えれば、時の流行りの音楽にははるかに及ばないだろう。それと、クラシック音楽の世界でも海外の演奏家たちは、日本に市場を荒らしに来なくてもいいのだとも思えるのだが。
 世界は狭くなった。引っ越し公演よりも、現地に行って現地で本物の音楽を味わうのが一番の方法だと思う。だいたい、日本で鑑賞しても一席3万6千円とか五万とか七万円だとかの金額になると、高額所得者しか、もとから買えないのだから。そのような人にはもう少し旅行のぶんの費用をプラスして現地で音楽を聴いていただく。これが正解だろう。そうすれば、国内の演奏会を侵食しなくて済むのだから。

 資本主義、市場経済主義、金融工学、競争主義がはびこる現代だ。拝金主義が行き過ぎたら、少しは社会主義的政府のコントロールが必要だ。人間の欲望には果てしがなく、また反面、規制もやむなしとも思える多面性があり、しかし、厳しすぎるのも拒否するというきわめてわがままな存在だ。

 私くらいの年齢の人が多くやっている「ゴルフ」・・・まったく興味がない。「麻雀」・・・まったくわからない。興味もなし。「釣り」・・・興味なし。ボランティァ活動・・・心が苦しい。「写真」・・・不得意。「カラオケ」・・・疲れる。「グランド・ゴルフ」・・・やったことない。こうなると同世代の人から相手にされなくなってしまうかも。「詩吟」・・・だめだ。

 残るは唯一「音楽」しかないかも・・・。さびしい気もする。

 「小旅行」という誰もがやってそうなこともあるが、あまり大げさに書くようなことでもないし、たぶん、多くの人が取り組んで生き甲斐を見出しているものから、私は少し乖離しているのだろう。私が無性に楽しいのは、音楽以外で生業を立てている人が、その仕事よりも音楽活動を優先しているような人との音楽活動が楽しいのだ。そこには音楽を生業にしていないにも関わらず、技術はそれらの人に迫れるものがあり、仕事の忙しさの中から必死で音楽をする時間を見つけ出し、それにエネルギーを注ぐ。この行動が「心」をわすれた現代人に共感を呼び興すだろうと確信をしている。これが生きている証の一つだ。

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