徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百四十二段*<コンクール>2009.9.30

 音楽は自分の生活の中に欠かせないものだと改めて思う。たまたま自分が首都圏に居住しているので、音楽情報誌「ぶらあぼ」などを読んでも、東京中心の情報が大部分で、何分の一くらいかの割合で、地方の演奏会案内が記載されている。とくに不思議ではないのだが。


 私は、首都圏でも地方でも義務教育の中での音楽活動が思っていたより大切ではないかと思い始めている。プロ野球・・・これはプロの高い技術と時には精神力をみることである種の満足感を味わえる。「甲子園」の語句に代表される高校野球はもちろん高校生のプレイではあるが、各学校が、寮を完備し、全国にスカウト網を巡らせ、優秀選手をなかばスカウトのように自校の生徒にしていく・・・という話を耳にすると、高校生という生徒のすることではあるが、そこには学校経営の「経営」部分が多いようにも思え、半ば、プロに近いような気がすることもある。

 義務教育の小・中学生にはさすがにそこまでのことは現実的にできないし、限られた条件の中での技術の練磨ということになる。そこに魅力が限りなく詰まっているように思える。演奏技術は確実に向上し、高校生の演奏していた曲を中学生が演奏し、中学生が演奏していた曲を小学生が演奏している。これって、けっこうすごいことなのだ。

 と、合唱や吹奏楽はそのようにくくれるかなと思う。だが、オーケストラはやや趣が違うようだ。要するに高校生だろうと小学生だろうと、選択する曲はプロオケの曲と同様だ。バッハやベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなど、古典派とロマン派の曲を多く演奏しているのがスクールオーケストラの世界だ。

 吹奏楽と合唱は日本ではコンクールという形の中での切磋琢磨の中から生まれた音楽文化ともいえる。ここがスクールオーケストラを囲む環境とは少々異質なところだ。おそらく、吹奏楽とオーケストラが唯一土俵を同じにして競うのが「全国学校合奏コンクール」だろう。数を比べれば吹奏楽を主に活動している学校が多くをしめ、その中でオーケストラは割合的にはその一部を担っているという状況ではある。

ところが、コンクールに限って言えば、全国コンクールでは全国一位はオーケストラの学校が占めることが多い。オーケストラが吹奏楽に負けることも当然あるのだが、少なくとも全国優勝に限っていえば優勝の割合はオーケストラが圧倒している。

 どんな演奏形態にしても、審査などで一日に何十団体となる演奏を聴くと、本当に優れた指導者と努力の子どもたちとの技術と心のつながりを感じることがあり、そんな演奏に出会うと聴いているほうも心が燃えてくる。
 若い時よりも年を重ねた今のほうが音楽のありがたさや大きさが分かる。不思議の一つだ。

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