徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百四十五*<集団生活>2009.10.15

 全国学校合奏コンクール千葉県大会が終わった。新型インフルエンザの影響をうけ、残念にも参加できなかった学校も出てしまったが、ほとんどが千葉県文化会館の舞台での演奏をすることができ、そして、演奏も奏者の思いが凝縮された熱演で、熱い一日が終わった。

 ところで、今のインフルエンザと冬に多くなるインフルエンザとの違いがよくわからない。よくわからないからか、冬に流行るインフルエンザとは全く違う対応をしているのでは?といささか疑問も感じる。

 児童生徒のかかわる大会やコンクールなど、文化系や運動系に限らず、すべてのものを開催中止にしている傾向がみられるのだが、その根拠はどこにあるのか?基準は何なのか?よくわからない。インフルエンザは罹患者の数の大小はあっても一年を通して存在しているのであり、例年は気温や湿度の関係で冬期に患者が増えていた。おそらくその意味で季節型のインフルエンザというのだろう。

 今回のインフルエンザは、今までのものとはウィルスの型が違うという意味で「新型インフルエンザ」と言っているようだ。季節型のインフルエンザでも、ウィルスの型とワクチンの型が違うと予防接種も効き目がないとはよく言われていたことだ。

 集団での予防接種に疑問符が付き、国の方針として学校などでの集団予防接種が行われなくなった。その良し悪しは私には判断がつかない。しかし、そのような流れを考えると、新型インフルエンザだけは予防接種優先という形になるのか。冬になって例年通り季節型のインフルエンザが増えたら、両方の予防接種をするのか。片方は集団接種?片方は任意での接種?か。よくわからなくなってきた。

 学校生活は集団生活だ。集団ならではの利点とリスクは当然つきものだ。うがいや手洗いがインフルエンザに有効な予防手段だと判断したら、集団として徹底してうがいと手洗いを励行するのが先だろう。休み時間をすべてうがいと手洗い、教室の換気に使ってもやるべきものだと私は思う。その徹底さを省き、罹患者が2〜3名で学級閉鎖、学年閉鎖では、集団生活はできないことになる。

 登下校時の事故があると、すぐに集団下校・・・では学校は授業だけしかやれない「施設」になるだろう。建物や施設だけの意味なら学校は不要だろう。家庭でできることを精いっぱいやり、学校でできることを精いっぱいやり、地域でできることを精いっぱいやる。それでも人間のすることだ。完璧はありえず、やむなく罹患者が出たり、事故が起きたらまた精いっぱいの対応をする。この繰り返しがいみじくも社会そのものではないのか。今の時代は情報がありすぎて幸福と不幸の両方を手に入れているような気がしてならない。

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