徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百五十三段*<闘う>2009.10.28

 作家・山崎豊子氏の作品がドラマで取り上げられている。フィクションとはいいながら、その時の世相や起こった事件をもとに作品が描かれていて、それゆえに説得力があるのだと思う。相当の時間とエネルギーをかけての取材といわれている。そして結末はハッピーエンドではない。読後感は得も言われぬ・・・といった感じだ。

 世の中の出来事は喜劇よりも悲劇が多い、と思えばいいのだが。

 共感を覚えるのはなぜだろうか。「沈まぬ太陽」といい「不毛地帯」といい、組織と人間個人を描いており、かなりの現実がその通りなのではないかと考える。人間の行動の原点はどこにあるのだろうか。いまでもよくわからない。わかるのは負のエネルギーと正のエネルギーがあることくらいか。そして負のエネルギーの方がより強いことが多いということだ。

 その相反する二種類のはざまでうごめいているのが、我々人間かもしれない。人生も晩年になれば、その世界からは縁遠くなるのかと思えばそうでもないらしい。人の心は厄介なものだ。

 自分の行動が時として正反対のことをすることがある。「闘うこと」と「投げだすこと」だ。この岐路がどのあたりにあるのかを自己分析するのは難しい。何回か投げ出して新しい世界が開けたことがあるし、闘って得られた世界もある。「投げ出す」と新しい世界が開けても、投げ出したという忸怩たるものが付きまとうから、これからの生き方としては「闘う」ことを選ぶのが後悔しない生き方だと思い始めている。

 「闘う」という意味は「戦闘」という意味ではない。「忍耐」とか「辛抱」と言い換えられるものだ。

 この段は、組織の中で長年生きてきた人でないと内容が抽象的で分かりにくいだろう。それは、ここでいう「闘い」が現実のものだからだと理解してほしい。相手は何か、相手はだれか・・・これは言えない。

 救われるフレーズがある。「知らなかった。ずっと こんな そばに・・・」
 こんな風に他人に思われたいし、誰かをこんな風に思いたい。できれば、「知らなかった・・・」ではなく「ずっと こんな そばに いてくれたんだ・・・」という意味で。

 三百五十二段へ   三百五十四段へ