徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百五十四段*<カール・ベーム>2009.10.29

 偶然にベーム指揮のフィガロを聴いた。録音が1968年、40年も前だ。音はやはりその時代の音だ。録音自体もそれほどいいとは感じられない。
 しかし、演奏は素晴らしい。生き生きとして引きしまっている。集中力が高いというか、精神エネルギーが高いというか…。

 日生劇場の柿落としにベルリン・ドイツオペラとの初来日の演奏を思い起こした。その時はベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」、フィッシャーディスカウも一緒だったか。オケの編成は二管編成。この編成で一回だけオケの演奏会をやったように記憶している。

 思い出すと、たしかカール・ベーム50歳代の時に指揮をしたモーツァルトのレクイエムも同じ印象の名演奏だ。録音がモノラル録音で、当時の疑似ステレオでのレコードだという理由からか、あまりよい印象が残っていない。当時の疑似ステレオの音は、音像がボヤけてしまい、音と同様に演奏の印象も散漫に聴こえた。レコードのジャケットにはベームの顔のアップだ。眼鏡をかけ厳しい顔の写真だ。レーベルは「ヘリオドール」。そのころに流行った疑似ステレオを、今の技術でリマスターをしたらどうなるのだろうか。印象が一変するかも知れない。

 ベームは初来日以降何度も日本を訪れた。もし、最後になったウィーンフィルとの演奏でしかベームの指揮を知らないとしたらそれは不幸だ。
 最晩年のベームは、もうベームではなかった。演奏の後から指揮棒が動いている場面が多くなり、痛々しいくらいだった。晩年のレコード録音もテンポが遅くなる一方で、弛緩をした印象が強くなり聴くのがつらい。録音のオケがウィーンフィルというのもどうかなと思った。本気を出さないと機能を発揮しないこのオケは、時として名前負けの演奏をする。

 ベームは初来日の時が、体力、気力、経験とちょうどバランスが取れていた絶好調の時だったのかも知れない。このときの演奏に出会えた人は幸福な出会いをした。

私 には痛々しく映った最晩年のベームの指揮を名演奏だと誉めた評論家がいた。ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番・・・あとはブラームスの交響曲、首をかしげる評論だと思った。その方も逝去されてしまった。

 想い出をたどれば懐かしさもこみ上げてくるし、寂しさもこみ上げてくる。

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