徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百五十五段*<鎌倉の名月>2009.10.31

 「名月に集う」に出席させていただいた。私が恩師と仰ぐ方からのお誘いだった。万難を排してでも出席したかった「会」だ。出来の良くない一学生の私を、在学中から卒業後まで何かとお心にかけていただいた。出席者に私の知っている人は誰もいないとのこと。今までなら出席を躊躇するところだが、今回はそんなことはなかった。

 メインは篠笛の演奏、そして懇親だ。場所は鎌倉市鎌倉山、その立地は想像がつくだろう。集まった方々は4、50人か。私なぞは若輩に入ってしまう人生の先輩方が大部分だ。20年ぶりになろうかという庵主の奥様とお会いするのも私には必要なことだった。雲は影を潜め、月光が輝き、虫の鳴き声と協演するかのような篠笛の響き、幾つかのろうそくの明かりの中にそれぞれが思いを持って聴き入っている。少し遅れて到着した私もその中に紛らわせていただく。

 見れば、目の前は竹林、そして林とも小山とも見える稜線、まさに幽玄というしかなかった。厳しいだけに見ていた恩師が、穏やかに出席者の接待をされていた。場にふさわしい和服姿だ。奥様ともご無沙汰の挨拶ができ、すでに建築家として第一線に立たれているお嬢様の姿も拝見できた。

 ビール、ワイン、焼酎と心づくしのおつまみ、思わず時間の過ぎるのを忘れた。私と同様に一人でおられた若者に声をかけたら、彼も一人で風景に見入っていたところだが、大いに話が弾んだ。知人がいない席でも何とか新しい人と知り合うことができ、それも楽しかった。

 会合の場所、つまり恩師のご自宅なのだが、設計をお嬢様がされたとのこと、わが子の設計された建物に住まわれる心地よさはいかばかりかと思いながら、目を凝らせば、その建築が和と洋の巧みな融合とも思える作りにさらに感じ入ってしまった。
 自然の中に溶け込み、四季とともに時を重ねる。住まわれている方の精神をも窺うことができた気がした。集合住宅に「住む」というだけの私には夢の世界だ。

 古都、京都、鎌倉には己をひきつける何かがある。自然・・・だけのたたずまいに惹かれる「奥志賀」・・・古の人の営みを彷彿とさせる「古都」・・・両方が私の中では必要だ。もうひとつは現実に生活している場所も・・・だが、現実だけを見詰めていては夢がないし、夢ばかりを追っていては現実を維持できない。
 竹の節のように、ある時間を過ごしたら夢を見、夢を見たらまた現実に戻る。このサイクルのバランスが重要だと思う。歳を重ねても新しい発見や体験をするのは生きる力が湧いてきて、筋肉や肉体を鍛えるのとは異なる精神の栄養になってくれる。現実の人間関係に辟易としている私には至福のひと時だった。

 三百五十四段へ   三百五十六段へ