徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百六十段*<不毛地帯>2009.11.12

 この秋の映像作品の作家の取り上げられ方は、山崎豊子さんと松本清張さん、か。映画でもテレビでも映像化されている。

 ナショナルフラッグがニュースで連日話題になる。経営危機だ。報道による社員の高額の給料に驚く。アメリカで大手自動車メーカーの経営危機の際に、政府に公的資金の援助を要請しに経営者がワシントン入りした時の交通手段が自家用ジェット機だったとのことで、議員から厳しい指摘を受けていた場面を思い出した。つい最近の出来事だ。

 元国営企業、今は半官半民だろうか、ということで経営者や社員に気の緩みがあるのだろうか。飛行機は墜落すれば多数の犠牲者が出ることが確実だ。JALの御巣鷹山での墜落で、520人もの犠牲者があったことを風化してはいけないだろう。「喉元過ぎれば 熱さを忘れる」という警句がある。

 「不毛地帯」・・・これもフィクションとはうたっているが、現実の人物と事件を彷彿とさせる。作家の取材力と創造力、構成力には頭が下がる。組織と個人の関わりに目が行く。正義は時として悪に負け、主人公には悲劇が待っていることが多い。おそらく現実の社会もそうなのだろう。多くの場合、悪意を持った敵の攻撃には、正義だけで応戦することはできない。そんな社会の中で自分が何を拠り所として生きていくのか・・・極めて難しい問題だ。この歳になっても難しいのだ。若い人はさらに難しいだろう。

 「生き馬の目を抜く」「世渡り上手の罰あたり・・・」「ごまをする」「魑魅魍魎」「伏魔殿」・・・こんな言葉で表わされるような人間の作る組織とは一体何なのだ?と思う時もある。

 上司にどのように取りいって地位を上げたか、というような話は幾つか耳にした。そのようにして手に入れるポストにどんな価値があるのか。しかし、その人にとっての価値は絶大なのだろうから、どんな手を使ってでも手に入れる価値があるということだ。「名もなく 貧しく 美しく 生きる」・・・こんな社会は人間界には存在しないのかもしれない。

 今の社会の状況を見ればシベリアの抑留地を「不毛地帯」と呼ぶように、現代に生きる我々も精神はまさに「不毛地帯」そのものだ。

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