徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百六十二段*<音と箱の大きさ>2009.11.16

 イベントとコンサートの違いをふと考えた。日本武道館や東京ドームでやる演奏会はどちらに当てはまるのか。ニワトリと卵のようにわからなくなる。壮大な音響が必要だから編成を大きくするとか、マイクとアンプとスピーカーを使って音を再現する方法を選ぶのか。会場が異様に大きいからPAを使うのか。

 それは作曲者や演奏家に聞いてみなければわからない。そのどちらもが正解かもしれないし。
 クラシックの声楽家?と思われていただろう「ドミンゴ」「カレーラス」「パパロッティ」を世界三大テノールと称して、日本では野球場で演奏会を催したことがあった。収容人数はもちろん多いのだが、チケットの値段は低くなることもなく、それでも高いチケットから売れていった記憶がある。

 劇場の公演でもミュージカルは声や演奏はスピーカーから流れる。それは違和感なく聴いている。せりふや歌や伴奏とのバランスなどを考えるとそれはベターな方法だと思う。俳優がつけるマイクもほとんど違和感がないくらいに小型になっているし、音質も十分だ。オーケストラピットに実際に人が入るか、PAで処理するのか・・・この差は意外に大きい。つまり、その時に人間がオーケストラピットに入ってリアルに演奏をしていた方に説得力があるということだ。実際に同じ演目でその両方を聞いたことのある私の感想だから、当たらずとも遠からずということだろう。
 これが音楽の持つ不思議さでもあるし、見えない人間の力でもあり、理屈を超えた「何か・・・」だ。
 単純に考えて、千人収容のホールで百人が演奏するのと、一万人収容のホールで千人が演奏するのと、どちらが「音楽」に近いのか・・・

 質の高さも説得力の一つだし、量の多さも説得力の一つだ。聴く人の好みかなあ。間違いなく言えるのは、あまりに大きなホールでのPAを使わない演奏会は、そのもののレベルが高くても聴衆にはそれが伝わらないということか。演奏者の出す音量に見合ったホール選びが大切だと、これも言えるし、ただし、それを補う音響技術があればこの理屈も怪しいものになる。かつて・・・ベルリンフィルが野外でのピクニックコンサートを開催したときには、途中から雨になり、録画からも雨の音が聞こえている中での演奏でさえも、十分感動したことを思えば、音楽や演奏の奥深さを否応なく思ってしまう。
 比較的最近に、同じベルリンフィルが由緒ある工場の倉庫での演奏会の録画を聴いたが、これは空しい演奏だった。ブラームスの交響曲だった。ほとんど残響のない録音は、さすがのベルリンフィルとブラームスの作品を持ってしても、途中で聴くのをやめてしまった。残響がないから駄目だった(個人の評価だが)のか、演奏自体がダメだったのか・・・もしくは両方がダメだったかもしれない。指揮者がダメだったかも?

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