徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百六十六段*<テノール・リサイタル>2009.11.20

 リサイタル・・・いい響きだ。私の「友」というか「師匠」というか・・・専門学校の在学中に私は学生、彼は先生だったから、そのどちらの呼び名も正しい。

 年齢が同じくらいだ。社会人になってからは、そのせいもあってか、音楽に絡む仕事で何度も一緒に取り組んだ。その意味では「友」が今ではなじむ言い方か。

 その人の名は「島津 勲」・・・テノール歌手、29回目のリサイタルが今夜開催された。千葉県民合唱団のモーツァルト、フォーレの二大レクイエムの合唱指揮者でもあるし、少し前には夜中までお酒を飲み交わしたこともあり、とにかく、気合を入れて聴きに行った。

 リリックなテノールの歌声だ。繊細な、それでいて遠くまで響く歌声が心地よかった。それに、杯を交わしたときとは別人のような、舞台上の姿・・・音楽の偉大な力を垣間見た気がした。

 ハイドンとメンデルスゾーンの歌曲を中心とした選曲、これにも感じ入った。さらに、ピアノ伴奏者だ。「東 由輝子」さん・・・歌声とのやり取り、リートではピアノを「伴奏」と言ってはいけないだろうというのが私の持論だが、それを証明してくれるかのようなピアノ演奏だった。歌詞を口で言いながら伴奏している姿を見れば、その力量はおのずとわかる。

 音楽は本当にその人の生きざまを映し出す。あるいは、人間や人生を映し出さない芸術は芸術としての存在価値はないのでは・・・と確信する最近、そのことをしみじみと感じた。
 時々、演奏会に足を運び、結果は空しい気分で帰ることもあるのだが、今日は久しぶりに違った。若いアーティストの存在を認めつつ、いや、やっぱり人生経験を積んだ演奏家の表現には心うつものがあり、それは演奏家の成熟とか円熟とか大成とかであらわされるひとつのまぎれもない「姿」だ。バリトンのフィッシャー・ディスカウが65歳の時の歌曲集「冬の旅」を連想させた。島津さんの「冬の旅」を聴きたくなった。

 島津勲さんは、大体一年に一回のリサイタルを開催していると思う。そして29回・・・この回数だけでも敬服に値する。
 さらに、その内容が充実の一言だったら・・・今日の演奏者、声楽家・島津 勲さん、ピアニスト・東 由輝子さん、に心からの「乾杯」だ。

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