徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百七十三段*<県民合唱団…それを支える若者たち>2009.12.6

 千葉県民合唱団の二回目の指揮者との合わせ練習の日だった。

 1ヶ月前よりも確実に進歩していた。この県民合唱団は順調に深みを増している。変に合唱慣れ、とか演奏会慣れをし過ぎているとかでもなく、だからといって技術的に低すぎるということもない。合唱…大人数のだが…をする団体として気持ちの良い団体として成長しているように思った。
 技術に走りすぎること、知識が多すぎること、演奏することに慣れすぎてしまうこと…これらは音楽をする上での禁忌事項だ。曲を表現する技術をもち、たとえ、それが名人芸でなくとも、熱い心や魂を表現できれば、それで十分だ。必ずしもプロの演奏だけが説得力があるわけでもないのだから。

 それにしても、日本人という人種は一斉に一つの方向に走るのが好きな国民だ。それも合理的な理由は乏しいのに。みんながやることを一緒にやっていると安心するのだろうか。

 年末年始が近くなってきた。テレビは年末年始の定番の番組編成になるのだろう。クラシック音楽会は第九の連続と、新年には「ニューイヤーコンサート」の連続だ。急にウィンナワルツの好きな国民になってしまう。それでも、それを見ていたり、私もやったりしているので非難をそうは出来ないのだが。

 そうだ。県民合唱団のことを書いていた。主催者の職員の若者は、相変わらず生き生きと気持ちよく仕事をしてくれて嬉しくなる。会場の後始末を黙々としている姿を見るだけで頭が下がる。それに、それだけではなく企画から広報から、本番までのすべてのことをやっているのだ。

 若い人の前向きなエネルギー、仕事へのひたむきな取り組みはなんとも爽快だ。比較的高齢者が多い合唱団と運営に携わり、それを支える若者たち…この組み合わせが絶妙であり、これが16年以上も続いてきた県民合唱団の原動力の一つだ。スタートの人達から何人もの人に受け継がれてきものだ。おろそかには考えられない。一つのスタイルを続け通すのは意外に難しいことだ。

 行き詰まると方向転換をしたくなる。それも道理なのだが、文化活動や芸術は一つの道を極めることも必要なことだ。
 個人としての活動だけでなく、組織としての活動も同様であり、個人が道を極めようと努力するのと同じように、組織も活動の道を極められるようにぶれなく進むことも、チェンジと同等に必須なのではと思う。

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