徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百七十六段*<にらみ>2009.12.11

 今日の病院はきつかった。診察ではなく待ち時間だ。最近あまり待ち時間の多い病院の経験がなかったせいか、それと待合室が狭くて、ベンチ(ソファーではない)に隣の人とぎりぎりのスぺースで長時間いるのは緊張するし、椅子そのものが華奢な作りなので、人が入れ替わり座るたびに「ドスン」…ではいらいらも増すというものだ。

 建物自体が古くなるとそういう欠陥も目立つということか。今日は雨で傘も持っていたし、取り回しも気を使った。途中で二組のクレームがあった。ぼんやりと聞いてきたが、スタッフ、看護師さんの手続き上のミスのようだった。目の回るような午前中の忙しさだ、ちょっとしたミスもあり得そうな様子だったし。
 私は、系列病院からの紹介状を持参していてもそれは診察順には何の役にも立たなかった。それは当然だな。唯一、診察された先生が信頼に値すると、感じたことが良かったことだ。

 ホームページでのひとり言のような、この「徒然草」だが、病院で検査・・・と書いた時には、一人の人が病気を心配しメールをくれた。有難ことだ。見捨てられてはいないようだ。
 「一人で生まれて一人で死ぬ」存在だと思えば、見捨てられるのを恐れることもないのだが、「一人で生まれる・・・これは無理だ。誰かが取り上げてくれるのだから」「一人で死ぬ。・・・これも無理だろう。瞬間は一人でもいずれも前か後には誰かのお世話にはなるのだから」やはり見捨てられては困るか。

 こう考えると、人間そのものの存在自体が、煩わしい存在とも思えてくる。

 指揮法を受講している、ある学校の教師が新型インフルエンザにかかったとのこと、その人のイメージはインフルエンザも逃げそうな感じなのだが、それは違った。
 市川海老蔵は、インフルエンザの影響でチケットが売れなかったときに、病気や役を払う、「にらみ」を宣伝に使ったら、チケットが売れて満席になったとのこと。その観客の思いにこたえるために「にらみ」には、いつも以上に気合を入れたと言っていた。
 「にらみ」・・・インフルエンザはともかく、風邪くらいには効果がありそうだ。

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