徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百七十九段*<心に残る日本語>2009.12.16

 言葉のワンフレーズ・・・これに弱い。長いフレーズ・・・これは逆に苦手だ。そう、苦手ということは私の心には入ってこないということだ。

 せんないこと・・・これは「どうしようもない」という意味か。宝物・・・これも、いい。「宝物」と思えて口に出せるところが・・・。「雪になって、好きな人の肩に、降っていきたい・・・」これも、自分では使えないが、使いたい言葉だ。

 心根の優しいひとが「鬼」になれるのはどんな時か。言葉のワンフレーズ・・・魅力的でもあり、しかし、重い。

 時代はどんどん変わり、それはおそらく音楽の価値観も変えているのかもしれない。「オペラ」は現代でも通用する総合芸術の極致なのだろうか。日本語で、つまり訳詞で演奏されるオペラは少なく、原語上演プラス字幕スーパーというかたちが多い。

 資本主義経済が世界の主流だ。商業ベースに合うこと・・・これは基本条件だ。劇場だって必然的に大きくなる。これを責めることはできない。大劇場で生声でという条件で会場の隅々まで声は通るのか?物理的にいえば、はなはだ疑問だろう。

 クラシック音楽の演奏会で、時々持っていた疑問符なのだ。これを声高く言うのは勇気がいる。本物の発声なら、どんなに大きな会場でも声が響く・・・と反論されそうだ。果たしてそうなのか。生身の人間のやれることには限度があるとは思わないのか。

 さっきのワンフレーズ、だ。日本語で言われるから印象に残る。普段使っているせりふと違う言語での表現としたら、どの程度の印象を残せるのか。
 どうも、日本には鎖国の後遺症が残っているのか。欧米のものにあこがれるのか。西洋音楽の指揮をしている自分にもよくわからない。

 ニューイヤーコンサートの大部分がヨハン・シュトラウス関係のワルツか、「新世界」交響曲・・・このパターンでは聴衆も飽きると思うのだが、音楽は万国共通・・・という先入観か、日本では飽きられない。

 合唱でのニューイヤーコンサート・・・1月4日ルーテル市ヶ谷ホール、年頭のチャレンジだ。シュトラウスのニューイヤー、新世界交響曲のニューイヤー、ねむの花のニューイヤー、同じようにあってもいいではないか。誰もが楽しめる「合唱」はコンクールのためでもなく、団員だけのためでもなく、一部の合唱ファンのためでもなく、シュトラウスのワルツのように新春から楽しめる音楽であるはずだというのがねむの花の「想い」だ。

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