徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*三十九段*<フルトヴェングラー・トスカニーニ・ローゼンシュトック>2008.1.18

 第三段に「なぜ、いま斎藤秀雄指揮法メソードなのか」を書いた。

 フルトヴェングラーは第二次大戦の前後にベルリンフィルの指揮者として活躍した。カラヤンの前任のベルリンの常任だ。トスカニーニはアメリカでNBC放送局の専属としてNBC交響楽団の指揮者としてこのオーケストラの育成に力を注いでいた。ほぼ同世代の両巨匠だ。

 この二人は音楽も指揮も対照的でよく比較される。音楽ファンの間でもフルトヴェングラー派とトスカニーニ派とに分かれてそれぞれが一言を持っていた。わかりやすい指揮とは言い難いフルトヴェングラーを「ふるとめんくらう」と言ったり、厳格なトレーニングをしたトスカニーニを「トスカノーノ」と言ったりしていた人もいた。むろんフルトヴェングラーの指揮でベルリンフィルは名演を残しているし、練習よりも本番で示すなんとも言えない精神美の極みとでもいう演奏は今でも語り継がれている。トスカニーニも何よりも楽譜に忠実な演奏へと志向し、当時のプリマに合わせるのが当たり前のイタリアオペラの指揮の時もそれを許さなかった。二人とも次の世代のカラヤンやバーンスタイン、セル、ライナーなどに大きな影響を与えたといわれる。

 さて、トスカニーニはローゼンシュトックを高く買っていた。そのローゼンシュトックがNHK交響楽団の前身の新交響楽団の指揮者として日本に招かれた。その時の新響のチェロ奏者として在籍していたのが斎藤秀雄だった。おそらく二人は音楽観と同時にオーケストラが成長するために必要な訓練や合理的あるいは分析的なとらえ方の重要性で意見が合ったのだろう。ローゼンシュトックの代理として斎藤も指揮台に上がるようになってゆく。

 新響はローゼンシュトックのおかげで飛躍的に実力をつけ、日比谷公会堂はいつも満席になったといわれている。

 すでに実力のあるベルリンフィルのようなオーケストラは指揮者の指揮が見やすいかどうかということはあまり演奏には関係ないのだろう。

 合理的で系統だてられた指揮の技術はプロを目指す人にだけ必要なのではなく、合唱やバンドやオーケストラを始めたばかりの小・中・高の音楽の先生方にこそ必要なのではないかと思う。なぜなら音楽の表現は教師と児童・生徒という縦の関係で出来ることでもなく、言葉や顔の表情だけでは演奏力を高めるのにも限度があるのではないだろうか。

 クラブ活動や部活動でバンドや合唱部の指導はしていない先生方にも授業という観点からみても得るものはあるように思う。なぜなら、わかりやすい授業の組み立てに、合理的な思考や科学的な思考、さらに分析的な手法がかなり有効な手立てになると考えられるからである。

 斎藤秀雄先生の門下生が指揮のみにとどまらず、チェリストやヴァイオリニストにも数多く輩出していることが、単に指揮の技術のみを教えていたのではないことでそれがわかるだろう。

 指揮法のレッスンをする立場になってあらためてその「指揮法教程」の偉大さを痛感している。


 

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