徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百九十三段*<わたしの願い>2010.1.13

 齋藤秀雄の「指揮法教程」の初版が何年なのかを知りたくて、奥付を見た。初版が1956年、今から54年前の発刊となる。そして、奇しくも齋藤秀雄54歳の時の出版だ。音楽の友社の発行人として目黒三策氏の名前があった。私が購入したのは昭和38年第4刷のものだ。価格が450円、当時ではどれくらいの高さの価格だったのだろうか、と想いを馳せた。

 54年前に54歳でこのメソードを編み出し、出版した齋藤秀雄先生には脱帽としか言いようがない。そして、半世紀を過ぎた今でもこのメソードを超える指揮法教程はないのだ。と確信する。

 「JIN」をアトランダムに見る。細かなせりふに、その吟味された一言に気づくことがあり、ストーリーよりも、一話一話が私には価値がある。よくできたドラマは必ず実際の人間の営みを反映している。

 高田三郎作曲の合唱組曲「わたしの願い」のことを考える。組曲といっても二つの曲、交響曲の1楽章、2楽章か。まるでシューベルトの未完成交響曲のようでもある。高野喜久雄の詩がすさまじい。人間とその発する言葉を突き詰めれば、こう感じるのか、と胸を突かれる思いだ。

 高田三郎没後10年の年が今年だ。いろいろな関係団体が高田三郎作品を取り上げるのだろう。私は私なりのアプローチをするしかない。そして、女声合唱団ねむの花の団員の作品への共感度、これが最終的な演奏結果として表れる。音響だけの世界は虚しい。合唱作品自体が詩と音楽との融合としての完結した芸術だ。それに、団そのもののアイデンティティが問われる。

 単なる自己満足の団体になるのか、独自の道を切り開くのか、まさに正念場だ。

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