徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百九十四段*<生き抜く>2010.1.15

 不毛地帯・・・放映再開。年末年始の特別番組編成のためか、中断していた「不毛地帯」が再開された。長編小説が原作だ。一回一回の放送に感動するのではなく、長い時間を経ての得るものがあるような気がする。年末年始の特別編成には何とかならないのか、と思うのだが、これこそ「灯篭の斧」か。毎年同じような番組が繰り返される・・・ように思える。

 誤解や疑心暗鬼から生み出される悲劇や不条理な出来事・・・これは人間のなせる「業」なのだろうか。

 ある放送作家が言っていた。芸能界で長く生き残るのに必要なこと、それは「まじめさ」と「優しさ」だと。シンプルで言い得て妙とはこの言葉だ。

 人間の一生はこの社会の中でどう生き抜くのかということだけで終わっていいのか。「生き抜く」これも厳しい言葉だ。「生き抜く」にもうまく生き抜くのか、闘って生き抜くのか、迎合して生き抜くのか、日和見で生き抜くのか、その形はいろいろあるのだろう。己はどう「生き抜く」のか。人間としての真価の問われる場面だ。

 一人で生きることなんて、実際にはできない。しかし、他人にだけ頼って生きるのも、人頼み、ということになり、精神は不安定だ。

 ある若者から、「仕事」をどう考えればいいのか?との質問を受けた。自分の思っている仕事の感覚と現状があまりに違うことからの疑問なのだろう。

 人の集まり、つまり「組織」なのだが、その維持は難しい。日本では「会社」組織とはそんなに長い歴史はないのだという人もいる。確かにそういえばそうだ。会社という形態での商業が始まったのは明治維新からか。このあたりの歴史は詳しくはわからない。そして話は「不毛地帯」に戻る。
 「華麗なる一族」にしろ「沈まぬ太陽」にしろ「大地の子」にしろ、結末が厳しい。ドラマとして、と言うよりも、現実の取材に即しての原作だとすると、何とも言えない結末も納得せざるを得ない。
 なんとも言えない結末・・・これが現実の私たちの住んでいる世界なのだろうか。

 そんな中で一瞬でも何も考えずに、何も思わずにひたすら音楽の世界に魂が遊ぶ・・・これが本番のステージだ。この精神の喜びを感じてしまった者には麻薬のように魅力がある。

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