徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百九十八段<コマ(駒)>2010.2.1



 新鮮な経験ができた。先日、あるコンクールに行った。その会場は国指定の有形文化財になっている。昭和年の建築とある。81年前の建築だ。上海音楽堂が同じような建物だったとすぐに思い出した。同じ県内なのにここに入ったのは初めてだ。

 二階席で聴いていたのだが、なかなか良い響きのように私には思えた。椅子が小さいとか、館外の音が時々聞こえるとかの弱点はあっても、ピアノはフルコンだし、一部のトイレは洗浄機つきだし・・・と、古さの中の新しさも感じることができる。

 コンクールなどに行ってみると、どの場面でも裏方といわれるスタッフの活躍が大きいことを思う。ひとつのことを成し遂げるために、多くの人が目には見えなくとも協力をしている。このことを感じると、人間の営みの原点に触れるような気がする。

 出演者はみな一生懸命の演奏だ。審査の結果はどうあれ、演奏し終わった後の紅潮した表情と、幾分かほっとした表情と、満足と後悔が入り混じったような表情を見ると、思わず共感をしてしまう。

 今日、今年初めての雪が降った。数センチ積もったが、千葉での雪だ。暖冬の最近はすぐに溶けることが多い。首都圏では雪が積もると交通網の混乱はつきものだ。東北や北海道ではどうなのかと思う。冬の雪は当然のように降るのだろうから。雪は恵の神か、厄病神なのか、受け止め方で様々だろう。雪をテーマにしての文学作品や美術作品、音楽作品は数え切れないほどにある。日本人にとって、天空からはらはらと落ちてくる白い雪の結晶の姿と、たちまち景色を真っ白に変えるその力は神秘とも思えたに違いない。こんこんと降る雪、それを見ていると心がいやされる。外出する必要もなく、雪の日には家の中にこもっての時間を過ごす。これは、後先を考えなければ、至福の時間になる。

 好きな音楽を聴く。気ままな時間を過ごす。自然を自然に受け入れる。これで満足すれば何の不自由もない黄金の時間だ。ところが、音楽を表現したという感情をなくすことができないでいる。回るのを止めると途端に倒れてしまう「コマ」を自分になぞらえる。自分が「コマ」だと思えば、この世に誕生したのが、回転を始めた最初の一瞬だ。倒れる瞬間まで回り続けるしかないとも言えるし、回り続ける義務があるのだとも言える。何かをする時間がある限り、動いて生きていくのが自分の姿だといま思うに至った。生まれた瞬間に回り始めた「コマ」、回るのをやめた時が死の瞬間だ。瞬間から始まり、瞬間に終わる、人の生きることのはかなさとも思える。

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