徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 


*三百九十九段*<春よ こい>2010.2.9

 「コード・ブルー」に滂沱として涙が流れた。人の営みの場面においては、生と死に常に直面している人がいる。時に直面する人もいる。医師は前者で、また関連の仕事についた人も否応なく前者の立場になるのだろう。そう考えれば私は後者だろうな。

 人間を生き物と見れば、生死はつきもの・・・しかし、人の死はことさらに悲しい。来月、何十年ぶりに、高校時代の恩師を訪ねる。国内ではあるが、はるかに遠い地に住んでおられる。同行者二名・・・三名での訪問だ。米寿のお祝いもかねる。同行者のうち一人は、すでに伴侶を亡くされている。まだ若いのに、すでにそのような経験をしてしまうとは、人生は無常だ。無情でもある。

 三年経ってようやく気持ちに落ち着きが出てきた、と言っていた。そんな話になった時はただ話を聴くしかなす術を知らない。死去された人と生きている人がいる。生きている人が元気でいてくれることは、死去した人の望みでもあろう。その人は、友人とイタリア旅行に行ったそうだ。その時の写真の画面を見ながら、そう行動するのが正解だと思った。嘆き悲しんでばかりでは、先に逝去された人も気がかりだろう。私の高校時代の後輩だ。二年下だ。お互いに、容赦のない時の経過の厳しい現実を見つめることになる。

 もう一人の同行予定者は、行く先の地図を買ってきた。行く場所が日本のどの位置なのかわからないから、とのこと。その県の地図を買っても、日本の中の位置はわからないだろうに。それに虫眼鏡(ルーペ)まで用意していた。この、ちょっとピントのずれた行動が私にはうれしく思えた。

 この徒然草は、寒い時には「段」の更新が少ない、ように書いている本人が思う。宇野功芳さんは夏が苦手だという。蒸し暑さが耐えられないようだ。私は夏よりも冬の寒さが苦手だ。このように自然の感じ方も様々だ。人間は面白い。単純に夏の暑さを耐えるのは、サウナでの高温多湿を耐えるように、汗をかくことで少しは凌げるような気がする。冬の寒さは人体ではどうにもならないから、嫌悪感が先にたつ。水分補給と発汗で乗り切れるのなら、その方がいいような気がする。
 暖房か、着る物を多くするとか、人体だけではどうにも対応できない気温の低さは、私には結構なストレスになる。

 いまは、2月の上旬から半ばだ。自然の中にいれば、おそらく微妙な春の訪れを感じることができるのかもしれない。コンクリートのベランダからではその感覚を得ることは厳しい。すぐ目の前に池と林がある、恵まれた自然を得てはいるのだが、春の匂いや気配まではダイレクトに感じるのが難しい。「春よ こい 早く こい・・・」という歌があるくらいだ。日本では、「春」の訪れが待ち遠しいのは今も昔も変わらないのだろう。

 三百九十八段へ   四百段へ