指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百一段*<木を見て森を見ず>2010.2.19

 偶然に「手紙」という曲を聴いた。アンジェラアキさんのものとは違う。年老いた親がわが子に対してのメッセージとなる手紙だ。大それたことを手紙にしているのではない。人生の終末が近くなった自分に、こんなこともあったと思いだして、そのようなときにはこうしてくれないかという、ささやかな「願い」の詩に曲がつけられていた。約分、一曲の時間としては長い。シンガーソングライターの才能のある人は、自分の想いを詩にもあらわせ、曲にもできるのだから、音楽の表現者として鬼に金棒というか、羨ましい限りだ。

 冬季オリンピックがバンクーバーで開催されており、あまり馴染みのない競技でも、世界一流の力と技を画面からでも感じると、驚嘆と感心とひたすら「すごい」の一言だ。
 そんな緊張感を感じられる時間と、8分の「手紙」を聴く小さな自分の心の世界と、このギャップもまた楽しい。

 月、月は恩師を訪ねる月だ。現在の音楽活動をすると同時に、何十年も前の恩師を訪ねる。いま、このようにできる恩師の長寿をまず喜ばなければならないし、己自身の命のあることさえも幸運だと思うべきだろう。

 数人でも、何十年も前に音楽でお世話になった恩師に会いに行くという人がいることも喜びだ。私ひとりでもいいとは言っても、来てもらう方は同じ手間なら少しでも人数が増えた方が良いのでは・・・これは私の勝手な解釈だが。

 今週いっぱいは厳寒が続くとの予報、風邪が抜けきれなくて、少しの不快感の連続が悩ましい。私の後輩の教師が保護者からの要求にこたえられなくて弱気になっている。私自身が保護者と教師という両方の立場に同時にいたことがあり、その経験からすると、あまり教師に完璧を求めてもそれは現実的解決にはならない。少しずつの改善を求め、教師にも少しずつ進歩してもらう。これが現実的解決方法だ。

 保護者にも価値観があり、人生観があり、教師にも同じように価値観や人生観、教育観がある。改善の要求を一顧ともしない教師なら排斥運動もやむを得ないのだろうが、反省、改善と、前向きに処理しようとする者には、ひとつの機会は与えるべきだろう。極端な処理は人間同士の怨みを生む。

 学校は教師と保護者との闘いの場ではない。そんな原点を常に見据えていないと、一つ一つの現象への対応に追われる。”木を見て森を見ない”結果にもなる。教育の結果は、学校でも親でも社会でも、ひとつの限られた分野での教育の成果ではないのだ。複合的に集まっての一つの成果・・・成人式でばか騒ぎをする二十歳の若者を育てたのも我々なのだ。事なかれ主義の教育には活力が生まれない。「生きる力」これもその中からは生まれない。

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