指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百十八段*<ブラームスの交響曲>2010.4.25

 ブラームスの交響曲3番にハマっている。ある人がこの曲を称してこう言っていた。「ブラームスの想いが率直に伝わってくる」と。そう言われればそうだ。1番の交響曲の冒頭はかなり無理をした感じのスケール感を出した感じがするし、尊敬していたベートーヴェンに負けまいとするブラームスの必死さを感じる。2番は全体にかなりの牧歌的なイメージが強いし、4番は冒頭から哀切きわまりないメロディーに胸が苦しくなる。

 と、各交響曲をざっくりと分析してみると、結構3番が素直に心にしみてくる。美しい旋律を第3楽章まで、取っておくというつつましさが、ブラームスらしいと言えば言える。第4楽章のエンディングは、意表をついて、静かに、昇華して終わる。直後に「ブラヴォー」は言いにくい。しんみりとして終わる。
 カラヤンがブラームスの交響曲の中でなぜか最後に録音をしたのがこの3番だ。それなりの理由があるのだろう。

 この曲への思いは様々だ。演奏してみたくて、何年も切望し、ようやくその機会が巡ってきた人がいる。カラオケボックスで楽器の練習をするという妙案を使っている人だ。初めての練習の後で、何年も温めてきて、練習をやってきたのに、今日のできは・・・と言って嘆いていた。
 こう思える感覚が私は好きだ。想いを温める・・・実現する・・・後悔する・・・温めなおす・・・この繰り返しのできる人は人生の達人だとも思う。

 私以外の人から、いろいろな刺激を受ける。これは自分自身の生きる喜びにつながる。10年以上も一緒に音楽をやってきた教え子がいる。このところ、仕事に追われて音楽が二の次になっている。ならざるを得ない・・・というべきか。話をしているうちに、その者が涙を流した。滂沱のように。7年前にも同じように滂沱の涙を流した。そのことを思い出し、そしてしばらく呆然としながら、7年の時間の経過を思った。時の過ぎるのは無情に早い。改めてそう思った。

 人の出す「涙」の意味はその人しかわからない。
 「涙」・・・思えば不思議なものだ。「心」の動きの中で「涙」が出るのは「人間」だけだろうか。
 4月の末になって、ようやく新緑が目に入ってきた。段々と時間が経つにつれ、この景色をあと何回見ることができるのか、とふと考えることがある。今年の春は、去年とも違う「春」だ。

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