指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百三十四段*<審判>2010.7.2

 オランダ・チームがすごかった。サッカー・ワールドカップの準々決勝。開始早々に1点を取られたオランダが、粘りに粘った。忍耐に忍耐・・・こんな形容がぴったりの苦しい場面を幾度となく耐え切っての1点、その後のチームの雰囲気の変わりようも見事だった。

 四年に一度のワールドカップ、テレビ観戦は3回目になる。Jリーグの試合はあまり興味がわかない。プロ野球も同じだ。プロはすごいと思うときもあるし、プロはだめだなと思うときがある。
 ワールドカップ・サッカー・・・決勝トーナメントになると、レベルが半端でなくなる。肉体よりも精神が表に出るのが、究極の場面なのだと思い知らされる。個人技ではブラジルが上手だと思われる中で、(しかし、決定的な差があるわけではない。)オランダ・チームの精神の力には、何も言えず頭が下がるのみだ。
 相手にリードされた時の対応に興味がわいた。チームのために冷静に対応するのか、自分と相手選手との個人レベルで対応するのか・・・結果に大きく響いた。倒れた相手選手を足で踏みつけるのは、レッドカードだろう。主審は、日本人だ。見逃さずにレッドカードの提示・・・これこそ、主審の姿だと思った。

 これまでも、オフサイドを見逃した審判とか、ゴールを見逃した審判とか、話題の多い大会とも言える。審判はもちろん人間ではあるが、限りなく「神」に近くなくてはならないだろう。審判の下すジャッジですべてが決まることがあるのだから。

 スポーツでも音楽でも審判のジャッジに泣かされることは間々ある。採点競技もそうだし、球技などでのジャッジも、首をかしげることがある。音楽の世界も同じかもしれない。審判(音楽では「審査」か。)には、常に審判の判断を裏付けるものが必要だろう。予選でミスジャッジをした審判団には、決勝トーナメントの審判を外すという決断をしたFIFAの判断は正しい。

 音楽の審査員はどのように選出されるのか、興味がわく。審査員を選出する主催者の意識が分かるからでもある。私が係わる主催のコンクールのときは、公平性と審査員の能力を判断する。しかし、実はこれが難しい作業になるのだ。価値観が極端に変わる音楽の審査は、審査員の選定から壁ができる。
 サッカーでは、幻のゴールで負けたチームは泣くに泣けないだろう。やむなく、人間の審判だということで諦めるか。
 さて、音楽の場合だが、二年連続の依頼はしないとか、地方コンクールであっても、地域に関係のない人を何割か審査員に加えるとか、いくつかの方策はある。それを何もしない中でのコンクールでは、主催者の識見が疑われるというものだ。夏から秋はコンクールのシーズンだ。サッカーの試合を見て、審判と審査にも思いを馳せた。

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