指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百四十二段*<締め出し>2010.9.5

 久しぶりの徒然草、夏負けか・・・少し呆けてしまったようだ。もう九月なのだが、相変わらず「真夏」のような陽射しと気温が続く。記録を破る気温の連続だと報道されている。15年前くらいにも同じような暑い夏があったような記憶がある。今年はそれをはるかに超していたと体感している。

 秋の虫の声はまだほとんど聴くことがない。夜、帰宅するときの虫の鳴き声に、そこはかとなく秋を感じたものだが、それは、まだ先のようだ。

 芸能ジャーナリストの梨元 勝さんの死が報じられた。65歳か。キー局のテレビから締め出され、地方局とネットでジャーナリストの存在を示していた人だ。惜しむ声は大きい。仕事から「干す」という行為はどんなものかとつくづく考えさせられる。何人かのジャーナリストが言っている。上のほうから下のほう(組織の中での)へ「使うな」という指示が来るとのこと。その源がどこなのかは、たぶん分からない(公には、あるいは正式には・・・)ようだ。

 自分が干されるときには、いくつかのフィルターを通ってきてからのことだからか。ジャーナリストは、取材を重ね、それを基にしての記事を書くのだろう。しかし、書いても採用されない空しさは押して知るべし、だ。自主規制のような「振り」をしての「締め出し」は悪質だ。振り返れば、日常的に存在するようにも思える。

 自分を貫くのが正義か、周囲と上手くやっていくのが正解か、なんとも難しい。「正義」と「正解」・・・このように言葉を使い分けねばならない。「正義」と「正解」が違うところにあるとは、嘆かわしい。

 そういえば、同じような場面に自分がされたことが何回あったかを数えてみた。自分がはっきり認識するだけで、5回か。自分では分からないうちでの「干し」はもっとあったのだろう。梨元さんが気の毒なのは、仕事の場がなくなるというストレスと、病魔が関係あるのでは、と思われることだ。「癌」・・・潜在的には誰もが細胞の変異は持っており、しかし、全員が発症するのではないといわれる。

 「締め出す」側はそれほどの痛痒は感じないのだろうが、される側はたまったものではない。「いじめ」の構図と同じだ。小学校、中学校の「いじめ」の構図が大人の世界でも跋扈しているとは、人間の心の醜さの断面だ。「人」ともいい、「人間」ともいう我々の心の醜さと弱さを思い知らされる梨元さんの「死」だ。加害的な立場のものは害を受けず、被害者的立場のものが痛手を負う。この不条理は何とかならないものか。進化や成熟を遂げるべき社会が、逆に後退し、退廃して行くとは信じられないことだ。

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