指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百四十三段*<生かされている>2010.9.27

 夕方から夜にかかる時間に新幹線に乗るのはなかなか楽しい。
 楽しいというよりも気持ちが落ち着き、変わる景色…夕焼けから夕闇に変わる空が心を癒してくれる。

 仲間や知人との楽しい旅行なら話をしたり、飲んだり食べたりで時間が過ぎるのだろうが、仕事に向かう車中はまた違う時間を持つことができ、これはこれで乙なものだ。

 次の日に備えての前泊への車中だと、当然リラックスということにはならない。少しの緊張感を持ちながらの時間が意外に心地よいものだ。
 浮かぶ音楽は何だろう。詩と音楽が結びついたものになる。
立原道造と三善晃の「ある風に寄せて」と「ふるさとの夜に寄す」が夕方から夜にかけてはぴったりだ。

 夕闇に暮れる空を眺めがら、「おまえのことで一杯だった 西風よ…」と頭にメロディーが浮かべば、おまえとは何を、誰を 指しているのかいくらでも空想が広がる。一瞬かのようにも思える、夕焼けの空、あっという間に漆黒の闇に入れば、時空に生きている己れを実感せざるを得ない。
 毎日、時間は否応なく過ぎ、同じ時は二度と持てず、生きることも死ぬことも自分では決められない己れのなんという小さな存在か。じたばたするまい。生かされているのだから、と素直に思える。

 新幹線での時間の過ごし方だが、これは文章を書くのが一番だ。読書では受け身一方だし、アイディアを産むには車内では集中するのが難しい。睡眠という方法もあるが、これは自由自在にはできないし、乗り過ごしが心配になる。

 と、いろいろと思いを巡らせているうちに、目的の駅に到着だ。

 何かの縁でどこかの土地に行く。何年かぶりに同じところに行く。その時に、また顔を合わせられるはずだった人がいない。

 わずか丸二年なのにその人はいない。早逝された。自分より何十歳も若いのに。この世や神の無情さをまた思う。だから、生かされているのだ。と再認識をする。

 四百四十二段へ   四百四十四段へ